エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
八 けたちがいの戦争
第七章のギリシアの話につづいて、第八章はギリシアとペルシアの戦いの話である。まずは、紀元前の五五〇から五〇〇年ごろに、アッシリア人、バビロニア人に支配されていた山岳民族のペルシア人が、バビロニア人と闘い勝利することから話が始まる。この時、ペルシア人はバビロニア人に捉えられていた多くの民族を開放し、その中にユダヤ人も故郷のエルサレムに帰った。
その後ペルシア人はエジプトを征服しほぼ三〇〇〇年ほど続いたエジプト王朝を滅ぼした。その後にペルシア人は各地を侵略し、ギリシア人の植民地都市が多くあった小アジアまで支配下に置いた。しかし、ギリシアの植民地である都市の人々はペルシア人の支配を嫌い反乱を起こす。植民地の母国ギリシアも彼らを支援した。
ペルシアは、小アジアの都市を攻略しそのままギリシアのアテネまで攻め込んでくる。しかし、劣勢のギリシア軍は勇敢に戦いペルシアに勝利する、この時マラソンの起源となるマラトンの逸話が生れた。その後何度もペルシアは圧倒的な大軍を送りこむが、そのたびにギリシア人の勇敢で知恵のある軍隊に負けてしまった。
著者はこのギリシアの勝利について、ペルシア人がギリシア人よりも劣っているとか悪い人間であるとかではなく、オリエントの巨大帝国が伝来の風習や教えに凝り固まっていたのに対して、ギリシア人は絶えず新しいことを追い求め落ち着くことがなかったためであるとしている。
ペルシア戦争後の数百年のあいだに、小さな都市アテナイの人間の精神のなかで、東方の大帝国での数千年間以上の多くのことが起こりえたのだ。その時代に彼らが考えたこと、描いたこと、詩でうたったこと、若者たちが広場で、老いた人たちが市庁舎で、語り合い、討論したこと、それをわたしたちは今日なお、こころの栄養として生きていたのだ。おかしなことかもしれない。だが、事実そうなのだ。そして、もし四九〇年にマラトンで、あるいは四八〇年にサラミスで、ペルシア軍が勝っていたならばわたしたちは、いま何を栄養として生きているのだろうか。それは、わたしにわからない。(抜粋)
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