『モチベーションの心理学 : 「やる気」と「意欲」のメカニズム』 鹿毛雅治 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第7章 場とシステム―環境説(その1)
1 アメとムチの神話(前半)
今日からやっと第7章になる。「はじめに」によると、この本の構成は、第1章、2章を、モチベーションの著名なグランドセオリーが記述され、さらに3章より6章までが重要なミニセオリーとなっている。そして第7章の「環境説」は、本来ミニセオリーのひとつとしても良いところをわざわざ独立な章としている。これは、つまり著者が最も重視している部分であることを示唆していると思う。さて、読み始めよう。
第7章1節は「アメ(報酬)」と「ムチ(罰)」の効果について。1節は前半と後半の二つに分ける。前半はまず「ムチ」を取り扱う
環境は、人の行動を引き起こすプル要因であり、人のモチベーションを生み出したり、変化させたりするパワーがある。第7章は、モチベーションの規定因としての環境である。まずわれわれになじみ深い3つのテーマとして、本節(1節)では「賞罰」、2節では「競争」、3節では「ほめ言葉」を取りあげ、その後4節では「「システム」としての環境」、5節では「「場」としての環境」をそれぞれ解説される。
人を支配するための道具としての「罰」について説明するために、まず著者は古典的な小説『1984』の話から始める。この小説の世界では、いたるところに監視システムが張り巡らされ、人々は「罰」により支配されている。
また、古代ローマでは、奴隷に対する監禁やむち打ちなどの体罰が横行していた。
このような「罰」が人を支配する手法として好まれる理由は、罰は即効性があり効果が目に見えやすいからである。回避動機づけは接近動機づけに比べて即座に強いモチベーションを引き起こす。そして罰は不快感情のなかでも協力な「恐怖」を引き起こすためその効果は絶大である。
このように罰は明確な効果があるため、経営者などには、「尻を蹴とばせ方略」の信奉者が多い。この方略はすでに経験則として定着している「素朴理論」である。しかし、この方略は不穏な雰囲気を醸し出し、支配される側だけでなく支配する側にとても心穏やかでない。
この罰に関する研究を積み重ねている「行動分析学」である。行動分析学で「罰(弱化)」は、「行動直後に特定の事象が随伴する(伴われる)ことで、その後、その行動の生起頻度が下がるという手続き」と定義される。
ここで強調しておくべきなのは、罰は望ましくないと行動分析で明確に結論づけられているという事実だろう。(抜粋)
行動分析学の創始者のスキナーは、理想の社会として「罰亡き社会」を提言している。
罰に対する批判のポイントは以下の6点である。
- ①罰の効果は、あくまで望ましくない行動が減ることであって、望ましい行動が増えることではない。
- ②罰の効果は一時的なもので、罰が存在するその場だけの効果に限られる。
- ③問題行動を減らすことはあっても、叱責など(負の強化因子)に慣れてくると効果を持続させるために罰をエスカレートさせざるをえない。
- ④不安や恐怖といった感情に支配され不適応に陥る。
- ⑤何が望ましいのか、悪い行動をどう改善するかといった情報を与えるわけでないので、単に回避行動、逃避行動のみを促す(むしり、叱られずにすむ行動が強化される)。
- ⑥その他の不必要あるいは不適切な行為(反撃や報復、不安や恐怖による委縮、逃避など)を引き起こす可能性もある。
1節(後半)は、ムチ(罰)につづきアメ(報酬)の効果について
コメント