エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
五 唯一の神
第三章でエジプトの歴史、第四章でメソポタミアの歴史を扱った。ここで本来ならば中国とかインドの歴史になると思ったら、そうではない。第五章は、エジプトとメソポタミアの間の高原地帯に暮らした多くの民族の中の一つ、ユダヤ民族の歴史である。
ついでにながら、古代インドは第一〇章、古代中国は第一一章にやっと登場する。この本は、子どもの本だし、西洋中心に書いてあるようです。
ユダヤ人は、大国にはさまれた多くの歴史に残っていない民族と同じよう小さく力のない民族だったが、その後に歴史そのものをつくる宗教を持っていた。
彼らユダヤ人の神は唯一神で、その神が自分たちを特別に守り導いてくれると信じた。その神の行いをまとめたものが「旧約聖書」である。
旧約聖書の「創世記」には、アブラハムはカルディアのウルから来たと書かれているが、ウルはペルシア湾沿いの瓦礫の山で近年発掘された。聖書にあるはバベルの塔の話があるが、ここでバベルはバビロンであり、ノアの洪水の話も舞台はメソポタミアである。その後、聖書の話に沿ってユダヤ人の歴史を追っている。
(ユダヤ人の歴史については、今読んでいる『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』のココ参照)
ユダヤ人たちは、ソロモン王の時代には隆盛を極めが徐々に衰退していった。しかしこのような試練がユダヤの民を敬虔深くした。
不思議なことだが、このうちつづいた不幸が、生きのびた小さなユダ民族をはじめて、真に敬虔な民にしたのだ。ひとむれの男たちが、民衆のなかにあらわれ出た。彼らは、神に仕える者たちではなかった。神が自分のなかで語るから民衆に語らなければならないと感じた、素朴なひとたちであった。彼らの語ることはいつも「すべての不幸はみなおまえたち自身のせいだ。神はおまえたちの罪を罰しているのだ」であった。ユダヤの民は、これらの預言者のことばのうちに、すべての苦しみはただ罰と試練であること、そしていつの日か大いなる救い、この民にかつての力をふたたびあたえ、さらに永遠の幸福をさずける救世主、メシアのあらわれることを聞いたのであった。(抜粋)
この後、バイロン捕因などの話の後、聖書が生れたと書かれている。
ここで気になるのは、本章の最後の文章である。バビロン捕因から故郷に帰ったユダヤ人には、他の民族が真の神を知らない偶像崇拝者に見えた、と記述した後に
一方、他の民族には、つねにだれにも見えないたった一人の神について語り、きびしくむずかしい掟や習慣を、ただ見えない神がそう命じるのだからといってかたくなに守るユダヤ人は、しだいにおかしく、不気味に思えてくるのだった。そして、おそらく先にユダヤ人が他から孤立したのであろうが、やがて周囲の民族もまた、自分たちを、「えらばれた民族」とし、昼も夜も聖なる書物に向かい。なにゆえに唯一なる神は彼の民をこれほどまでに苦しめるのか、と考えつづけるユダヤ人、この小さな民族との間に、距離をおくようになった。(抜粋)
と書かれている。このような表現は、実際のそうだったとしても現代ではないように思う。本書の初版は1935年、つまり第1次世界大戦と第2次世界大戦の間に出版されている。その当時は、ゴンブリッチのような最高に教養のあるヨーロッパ人でもこのような認識だったのだと思った。
関連図書:小友 聡 (著) 『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 NHK出版 (NHKこころの時代)、2020年
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