「敬語の使い方」(その2)
岩渕悦太郎『悪文 伝わる文章の作法』より

Reading Journal 2nd

『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

敬語の使い方(その2)
敬語のつけすぎ

ここより「敬語」に関する「悪文」が説明されている。今日のところは「敬語のつけすぎ」である。


敬語のつけすぎ

敬語に関する悪文の最初は、「敬語のつけすぎ」である。ここで問題になるのは、接頭語の「お」あるいは「ご」のつけすぎである。特に女性がつけすぎる傾向があるとして、いろいろな例文を用いて解説している。
ここでの例として、「おたこ、おたい、おにんじん、おたまねぎ、おキャベツ、お大根」などの本来ならば「お」をつけない魚や野菜など、さらに「お教室、おつくえ、おいす、お絵かき、お御飯」などをあげている。


なるほど、確かに幼稚園とかでいいそうだよね。っで次に面白い例文があるので抜き出してみる。

ある幼稚園で、女の先生が園児のかけっこのスタートで、「お用意!ドン」と言ったという笑い話さえあるくらいだ。(抜粋)

これじゃぁ~、走る前に力が抜けた園児もいたんじゃないかな?(つくジー)


「お」のつけ方で、注意が必要なのは、「お」がつくことによって意味が限定されたり、特殊なニュアンスが加わることがある点である。

ここでは、例として
           目玉⇒お目玉、勝手⇒お勝手 めだたい⇒おめでたい(人間) 等々
が示されている。

さらに、各々の「お」のつけ方に間違いがない場合でも、一つの文中にあまり「お」を続けて使うと、読み手にいやらしい感じを起させることがある。

要するに、一々の語について「お」のつけ方を考えるだけでなく、文もしくは文章全体のバランスという点にも、注意を向ける必要があると思う。(抜粋)

次に「敬意を持った特別な漢語」についての問題が書かれている。

尊父、令息、令嬢 等々…(尊敬)
拙宅、豚児、舎弟 等々…(謙譲)
などの漢語名詞は、「お」や「ご」をつけなくてもその中に尊敬or謙譲の意が入っている。
これらの語は、現代語になっているが、そもそも旧時代の文語文(とくに候文体)で使われていたため、現代の「です」「ます」語文体の中で乱用されると非常に不調和な文になる。時に漢語に無い語を造語してしまう場合などは、とくに不調和となる。したがって、

現代語の文章を書こうとする限り、この種の旧式の敬語をなるべく敬遠するようにつとめるべきであろう。(抜粋)

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