『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
文の筋を通す(その1)
首尾が整っていない
ここでは、意味の分かりづらい悪文がどうしてうまれるのかを、多くの例文を示して解説している。最初に「首尾が整っていない」として、主語と熟語の関係について考える。
文章には、主語と述語があるが、まず主語と述語がきちんと照応していないことについて、様々な種類を多くの例文をもとに説明している。述語が無い例として、
厚生省が東京新宿鉄道病院を調べたら一点四円の低料金の秘密は医療施設の全部と人件費のほとんどを国鉄経費で賄っていた。(新聞)(抜粋)
が示されている。ここでは、主語=「秘密」に対応する述語が無い。この分は最後に「ことがわかった」を重ねことが必要である。
この後、二つ以上のことを持ち出し一方の述語を忘れた例、主語と述語の距離があまりにも離れていて理解できない例、述語が不適当な例、主語が文の途中で変わっているのにその主語を省略した例、主語があるがなかなか出てこない例、不適当な主語の例、などが解説されている。
主語がなかなか出てこないと悪文になるのであるが、これについては、
主語はなるべく早く出した方がいい。しかも、主語と述語との距離は短い方がいい。そこで両方の要望を満足させるのは、なかなかむずかしいが、たった一つの道がある。それは、短い文を書くということ。これはあらゆる場合の鉄則と言っていい。(抜粋)
といっている。
著者は、翻訳などの文には日本語としてこなれていない文が多いといっている。特に受身の文をバタ臭いとしている。たとえば、
最大の危機は中国軍の飛行機と潜水艦からもたらされるだろう。(新聞)(抜粋)
については、「最大の危機」を主語とする発想が問題であり、それを主語とするとどうしても受身となってよくないといっている。
ですが、ボクにはすんなり頭の中に入ってくる。これは、この本が書かれた当時(1979年)に比べて、だいぶ時間がたったということだろうと思う。もっとも、著者も
悪文にしろ良文にしろ、その基準は永久に変わらないものではないけれども、今のところは、再び言うが、悪文である。(抜粋)
としていて、当時としては悪文といっている。(つくジー)
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