『無気力の心理学 改版 : やりがいの条件』 波多野誼余夫/稲垣佳世子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 自律性の感覚
まえがきに書かれているように、いままで(第1章から第3章)は、「無力感」について書かれていた。ここから第4章から第6章は「効力感」について書かれている。本章第4章は、「自律性の感覚」について。
まず「効力感」の定義として、「自分が努力すれば、環境や自分自身に好ましい変化を生じさせうる、という見通しや自信をもち、しかも生き生きと環境に働きかけ、充実した生活を送っている状態」としている。
まず、著者は、第1章から第3章で扱ってきた「無力感」におちいる条件が無ければ、人々は「効力感」を持つといえるか、と問いに対して、そうではないと答えている。
その理由として、
- 人が無力感におちいる状況は、生存の脅威から逃れられない状態(苦痛や生理的欠乏)だけでなく、本人が価値をおく課題での失敗の連続や「人間らしい生き方」が繰り返しおびやかされ、その状況を改めることができないことなどもあること。
- 「具合の悪い」状況を変化させることだけでなく、自分の活動が環境や自分自身に好ましい変化を生じさせることも、効力感をもたらす「十分条件」であること。
をあげている。
ここで指摘しておきたいことがある。それは、効力感が獲得されていると、通常なら無力感におちいるような状況におかれていてもこれを切り抜けることができる、という可能性である。(抜粋)
ここから、本章の主題である「自律性の感覚」についての話に移る。
まず、自分が興味を持っている課題に対し、外部から報酬が与えられる場合に、もともと持っていた興味が低下させることを、ここでは数々の実験の結果から示される。
今までみてきた一連の現象をどう解釈したらよいだろうか。なぜ他人によって報酬を与えられたり、評価されたりすると、もともとある興味や向上心が強まるどころか、逆に消失してしまうのだろうか。
これに対しては、これまでいろいろな解釈が提出されてきた。それぞれニュアンスのちがいはあるが、しかし、多くの解釈に共通しているのは、金銭やごほうびなどの報酬や外的評価の導入が、自律性の感覚を失わせるのではないか、ということである。(抜粋)
人間には、自分が自分の行動の源泉でありたい、自分の行動の主人公でありたいという、基本的な要求がある。そのため、効力感の形成には、努力の主体、つまり行動をはじめ、それをコントロールしたのは、自分であるという感覚(=自律性の感覚)が必要不可欠になる。
児童期以降では、したくないこともしなければならない活動が増えてくる。この場合、努力の結果が実を結べば無力感には陥らないが、効力感の獲得にまでは至らない。
児童期以降の段階では、自律性の感覚、自分の行動は自分がはじめ、自分がコントロールしうるものだという感覚を、効力感獲得の前提として取り上げることが必要なのである。(抜粋)
ここでは、いくつかの実験が示され効力感の獲得には、自律性の感覚が重要な役割を果たしていることを説明している。
それでは、自律性の感覚を発達させるにはどうしたらよいだろうか?これについてはまず「外部からの強制がない」ことを前提として、自己選択の機会を持たせることが考えられ、実際に実験により、自分で選ぶことは、その課題に粘り強く取り組む傾向を強めることが確認されている。ここで重要なのは、選択させることではなく、「自分の意志で選んだのだ!」とい感覚をもてる、つまり自分が主人公であるという感覚である。
最後に著者は、これらの研究は比較的新しいもののため、実験的理論的に不確かさがつきまとうとしている。この不確かさを次の3つにまとめている。
- 行動の源泉が「自分」にあるか「他者」にあるかと対立的に考えるのは、アメリカ人的発想であるが、これが日本に当てはまるかは、今後の検討事項である。
- 自律性の感覚があれば、必ず効力感と結びつくかは疑問であること。自律性の感覚が価値を持つためには、自己統合の条件が必要になる。(第六章で扱う)
- 物質的賞を与えることが、常に自律性の感覚をそこなうとも効力感を低下させるとも思われないこと。
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