「補給無視の作戦計画」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第二章 何が大量餓死をもたらしたのか – 1 補給無視の作戦計画

日本軍戦没者の過半数が餓死者だった。戦闘の中で華々しく戦って名誉の戦死を遂げたのではなくて、飢えと病気にさいなまれ、瘦せ衰えて無念の涙をのみながら、密林の中で野垂れ死んだのである。こうした結果をもたらした原因は一体何だったのかを検討することにしよう。(抜粋)

著者は、第二章の冒頭をこのような言葉で始めた。第二章は日本軍の大量餓死の原因を「補給無視の作戦計画」、「兵站軽視の作戦指導」、「作戦参謀の独善横暴」の3つの節を立て検討している。最初の節は「補給無視の作戦計画」である。


軍隊が行動し戦争するためには、先ず軍隊と軍需品を送るための交通手段と弾薬や資材、食料を送る補給路の確保が必須である。しかし、日本陸軍では、作戦を重視するあまりこの交通手段と補給路の確保を無視した無謀な作戦が繰り返し、多くの餓死者を出す原因となった。

この節ではまず、第一章で描かれている「ガダルカナルの戦い」、「ポートモレスビー攻略戦」そして「インパール作戦」を振り返りながら、この問題に焦点を当てて解説をしている。

日本陸軍は、制空権・制海権をすでに奪われた状態で、絶海の孤島に軍隊を送りこんでいる。送りこまれた軍隊は大きな重火器は持ち込めず、食料もわずかしか持ち込めなかった。そして、弾薬や食料の補給は、ほとんど望めず玉砕や、飢餓地獄に陥っている。ガダルカナルの戦いを振り返りながら著者はこのように書いている。

軍隊を送りこむだけでもきわめて困難で、輸送船では運べず鼠輸送や蟻輸送(小型の舟艇による輸送)に頼らなければならなかった。これでは裸の兵員を送りこむだけである。こうした輸送状態では、その後の補給が確保できないのは当たり前である。それなのに次から次へと軍隊を送りつづけた大本営の作戦担当者は、何を考えていたのだろう。弾薬も糧食もなしで、身体だけで上陸した軍隊が、戦闘力を保持できるとでも思っていたのだろうか。(抜粋)

ここで著者が最も問題としているのが、このような作戦を立てた大本営作戦課の無責任な行動である。彼らは作戦を極めて重視し、輸送や補給などの兵站を無視していた。兵站の担当者が作戦に異を唱えてもそれを考慮しないで作戦を実行した。著者は、このような作戦担当者を強く非難している。

大本営陸軍部(参謀本部)の中でも、とくに第一(作戦)部長田中新一中将、第二(作戦)課長服部卓四郎大佐、作戦課の作戦班辻政信中佐の作戦担当者の発言権は絶大であった。対米英開戦から初期の南方作戦を指導したのもこのトリオであって、田中、服部は同じ部長、課長として、辻は戦力班長からシンガポール攻略の第二十五軍参謀としてその名を轟かせた。いずれも名うての積極論者、強硬論者で、つねに攻撃主導を主張し作戦をリードしていたことでも知られている。田中はガダルカナルへの兵力増強のため船舶増徴を要求し、国力保全の立場からこれに反対する佐藤賢了軍務局長を殴打したり、東条英機陸相を怒鳴りつけた事件を起こしている。何としてもその主張を押し通そうする強権論者で、慎重論や合理的判断を抑えてきたので、辻もそれに輪をかけた強硬論者だった。(抜粋)

(このような大本営の問題は、後の「作戦参謀の独善横暴」でさらに論じられる)

このような大本営作戦課の独断での作戦の裏には、「情報の軽視」がある。彼らは、都合の悪い情報は無視して作戦を計画していた。著者は、

このような敵情の認識、戦果の判定の誤りが、その後の作戦に大きく影響したことはいうまでもない。その根本原因は、日本軍の情報収集にたいする熱意の不足と能力の欠如にあるといえよう。(抜粋)

また、堀栄三(著)『大本営参謀の情報戦記』などによると、作戦を握っていた大本営作戦課の一握りの“奥の院“の参謀が戦争を引きずった責任者で、情報は軽視されていたという。著者は、次のような言葉でこの節を締めくくっている。

作戦課、とくにその中枢にあった一握りの、いわゆる「奥の院」の人物たちは、ノモハン事件の失敗の最大の責任者でありながら、この度は大本営の中枢に舞い戻って対米英開戦を主導した。ガダルカナルの敗北でいったんは要職を退いたが、また復活してレイテ決戦や大陸打通作戦の主導者となった。失敗しても不死鳥のようによみがえってまた国の運命を左右する要職につくという陸軍の人事そのものにも問題があるということができよう。(抜粋)

関連文献:堀栄三(著)『情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記』文藝春秋(文春文庫)、1996

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