『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 自問する絵画 — 自画像の時代
3. 鏡に映らない自己を描く — パリ(その3)
1887年春に一群の「自画像」を描いた後、ゴッホは一時自画像の制作を休止している。そして1887年夏からまた描き始める。ここでは、ゴッホの描き方の変遷を細かく追っている。

ゴッホは、印象派のポール・シャニャックやベルナールと共にセーヌ河下流域のアニエールへ出かけて絵を描くことがあった。図30 [「アニエール公園の風景」1887年6-7月、油彩、カンヴァス]は、アニエール公園の風景を描いたものと伝わる絵であるが、著者はこの中の麦わら帽子の男がゴッホではないかといっている。一旦、自画像の制作を休止していたゴッホは、1887年の夏からまた自画像の制作を始めている。
図31[1887年夏、油彩、カンヴァス]の「自画像」は、夏の作品群のはじめの方に描かれたもので、背景を塗り潰して伝統的な「自画像」の作り方から始まっている。
ここより、図32~図35までの自画像を検討しゴッホの筆致の研究を追っている。
なにを求めているのか、このときのヴィンセントには説明できないのだが、なにかを探っている筆致なのである。予感のようなものに衝き動かされて筆を運び、筆を動かしながら考えている。(抜粋)
ここで、著者はゴッホの自画像の視線の方向に注意を向けている。自画像は、鏡に映っている自分を凝視して、写実的に描こうとすると、その視点はどうしても描いている自分—自画像を見ている者—を見返すことになる。しかしこの時期の自画像だけでも見返しているのは四点[図31、33、34、35]だけで図32、36、37は、画面の別の場所を見ている。
これは、自画像という作品を「絵画」として扱おうという意識がつよく働くようになったということである。画面のなかの自画像の視線が、画面の外の絵を観る者を見返さない場合、しかしその視線が画面のなかのどこかを見ているように描かれているのは、絵画の枠(フレーム)の動きということを考えているからである。
ヴィンセントにとって、自画像は、自己の赤裸々な描写でもなく、自己告白でもなく、自己の観察の冷静な報告でもなく、絵画という枠のなかで、自分という存在をどう描き出すか、というところに最大の関心があった。」(抜粋)
図30 | 「アニエール公園の風景」1887.6-7 | http://www.vggallery.com/painting/p_0314.htm |
図31 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0268.htm |
図32 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0061v.htm |
図33 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0109v.htm |
図34 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0526.htm |
図35 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0469.htm |
図36 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0179v.htm |
図37 | 「自画像」1887夏 | http://www.vggallery.com/painting/p_0077v.htm |
図38 | 「自画像」1887秋、1887-88冬 | http://www.vggallery.com/painting/p_0269v.htm |
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