「中国戦線の栄養失調症」(その1)
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 餓死の実態 – 7 中国戦線の栄養失調症(前半)

日本軍の餓死者は、人口稠密で物資が豊富な中国戦線においても発生した。
敗戦前の2年間における中国戦線では、戦病死者が戦死者を上回っている。この節では、長尾五一の『戦争と栄養』(一九九四年)を基本資料として、中国戦線での飢餓の様子を描いている。

長尾は、軍医として戦争栄養失調症を研究していた、そして「中華大作戦」のうち「SK作戦」(第一号作戦)を調査しまとめている。それによると、戦病死者が戦死者を大きく上回り、戦病者の死亡率が極めて高かったことが分かる。

著者によれば、「酷暑多湿なるうえに敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は予定の如く行われず、敵味方の大軍により現地物資は消費し尽くされ、将兵の疲労言語に絶するものがあった」とし、四四年五月下旬から一一月下旬までの六ヵ月で、戦死一万一七四二名、戦傷二万二七六四名にたいし、病死六万六五四三名を出したが戦病による死亡率は著しく高いという特徴があったとしている。例えば戦争栄養失調症と診断したものの死亡率は九八%達している。(抜粋)

この戦病者の死亡率が高い原因は、病院での栄養状態が悪いためである。また、入院させないで在隊のままで死亡する戦病者も多かった。

『戦争と栄養』が対象としている第一号作戦は、一六個師団、五〇万人の大軍を動かす、日本陸軍始まって以来の大作戦であった。著者は、戦局が危機的な状況におけるこのような大作戦をなぜ行ったか、と疑問を呈している。作戦は計画そのものも二転三転し、多くの目的の中から「航空基地覆滅」の一目的に絞られ作戦が立てられたが、米軍がマリアナ諸島の飛行場を整備し、その意義も失われていた。実際、日本軍が飛行場に到達した時には、B29などはすでに移駐していて、もぬけの殻だった。

このような無意味な作戦は、参謀本部でも一部を除き反対であったが、第一部長真田少将、作戦課長服部大佐が初志を変えずに実行した。

作戦担当者は、全般戦局との関係を無視し、自ら立案した壮大な作戦計画に酔っていたとしか考えられない。補給の困難が作戦の支障になることを考えられなっかたのであろうか、そして長尾軍医のことばを借りれば、「かくして将棋でいう歩となった者が、無駄な犠牲に供されねばならなかった」のである。(抜粋)

関連図書:長尾五一(著)『戦争と栄養』、西田書店、1994年

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