『忙しい人のための美術館の歩き方』 ちいさな美術館の学芸員 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 美術鑑賞の変遷 3 日本の展覧会の黄金時代
今日のところは「第2章 美術鑑賞の変遷」の第3節「日本の展覧会の黄金時代」である。日本が経済大国になったころ、今では考えられないような収集客数を誇った展覧会が催された。そのような展覧会のヒットとジャーナリズムとタッグを組む日本の展覧会の形、そして、昔の日本で数多くあった百貨店での展覧会などを紹介している。そして日本の展覧会の発展を追うとともに、日本の展覧会が西洋の展覧会と違い「見世物興行」や「博覧会」というイベントから展覧会につながっている特徴を明らかにする。それでは読み始めよう。
今では信じられないほど、展覧会がエンターテイメントとして強大な力を持っていた時代が日本にはあった。ここでは日本での展覧会の歴史を振り返っている。
高度経済成長期の3大ヒット展
日本が経済的に発展し、経済大国になっていったころ、その勢いを物語るように超希少な美術品、文化財を日本に持ってきて展示する特別展が開催された。
最初は、オリンピックイヤーの1964年に「ミロのビーナス展」が国立西洋美術館で行われる。オリンピック発祥の地、古代ギリシャの美術品を求めて、総入場者は83万人、1日平均でも2.5万人の人が押し寄せた。そしてその翌年に東京国立博物館で開かれた「ツタンカーメン展」では、エジプトで門外不出だった《ツタンカーメンの黄金のマスク》が特別に展示され、130万人、1日平均でも2.9万人の来場者が詰めかけた。この展覧会は、その後、京都市美術館、福岡県文化会館と巡回し、三会場の合計は293万人となる。最後に1974年に東京国立博物館で開かれた「モナ・リザ展」にも150万人、1日平均3.1万人の来場者を数える。この来場者の記録はいまだに単館開催の展覧会の最高記録である。
これだけのものを日本に持ってこられるほど、当時の日本の経済は活力に満ちていた。そして、美術は完全に大衆のエンターテイメントとしての地位を獲得する。
このような大ヒットを生み出したのは、その希少性という理由が大きいが、別の見方をすると美術に対する飢えとも言える。60~70年代は、まだ大型の企画が開催できる美術館・博物館に限りがあり、話題の展覧会となればその一点めがけて人々が殺到した。
80年代からの美術の大衆化
しかし、80年代になると美術館の数は急速に増えていき、それはバブルが崩壊するまで続いた。そのため、大都市圏以外でも展覧会がコンスタントに行われるようになる。「美術の大衆化・日常化」である。
3大美術展のような大ヒットは無くなったが、10万~50万人に収まるような展覧会の数が増えていった。80年代から90年代前半は、日本の展覧会黄金時代となった。
マスメディアの展覧会事業と「メセナ」
このような展覧会は、マスメディアが大きな役割を担っている。3大展覧会のうち、「ミロのビーナス展」と「ツタンカーメン展」は朝日新聞社が、「モナ・リザ展」には、表には出ていないがフジサンケイグループが援助している。
このように日本では、展覧会の企画・運営をマスメディアが行うことが当たり前となっているが、これは海外の美術館と比べるとかなり異質である。
じっくりと所蔵品(コレクション)を見せるという基本姿勢で展覧会を行ってきた海外の美術館に対し、日本では見世物興行や博覧会というイベントから展覧会へとつながっていったとう歴史的背景の違いがここに現れているのかもしれません。(抜粋)
戦後から美術館とマスメディアは一貫として結びついている。それは現在でも変わらず、ほとんどの展覧会に共催として加わっている。共催と言ってもほとんどの費用をマスメディアが負担していて、事実上大きな企画展を美術館が単独で開催することは不可能である。また、広報という観点からもマスメディアの役割は大きい。
企画展事業において、収支がプラスになることは稀である。それでも、マスメディアは「メセナ」(芸術を庇護すること)という理念からこのような巨額の予算を投じて展覧会事業を支えているである。
日本におけるデパート展
日本の展覧会で特徴的なこととして、前述のマスメディアの役割と共にデパート展という展覧会文化がある。
現在では下火になってしまったが、かつては有名デパートには恒常的に展覧会を行うスペースがあり、よく話題の展覧会が行われていた。このデパート展は、日本各地に美術館ができる前から行われていた。その最初は、1904年に三越呉服店(三越)で行われた「光琳遺品展覧会」である。
デパートで文化・芸術を楽しむ機会を与え、デパートに行くことが特別なハレの体験にすることが狙いであった。また、多くのデパートは呉服店が前身であり、呉服の図案などを通して画家との関係があったことも背景にあった。
大正時代以降も主要デパートで展覧会を開催するようになり、戦後になってもデパート展は日本の展覧会をリードした。美術館が少なかった時代にデパートはその機能を代替えしていた。そしてこのデパート展にも新聞社が間に入ってコーディネイトしていた。そして、70年代以降になると、西武美術館を皮切りにデパートが美術館を開設するようになる。しかし、この勢いはバブルの崩壊とともに終息し、90年代かrふぁ2000年代になるとデパート美術館の閉館が続き、今残っているのはそごう美術館ぐらいになってしまった。
ほとんどが閉館したとは言え、長らく日本の文化インフラとして人々に素晴らしい鑑賞体験を与え続けてきたデパート展の功績は計り知れません。(抜粋)
このデパート展文化も、日本の展覧会が常設展よりも企画展が重要視される風潮に依っている。
お客さんを呼べる期間限定の催し物としての展覧会。よくも悪しくもこれが明治時代から連綿と続く日本の展覧会文化なのです。そしてその感覚は現在もさほど変わっていないのではないでしょうか。(抜粋)


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