『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
用語について(後半)—- 三 文章の要素
今日のところは、「用語について」の”後半“である。”前半“では、文の要素としての「用語」についての概説があった。多くの同義語が存在するなかその場面にピッタリとはまる用語を選ぶことが大切であること、そして、人の思想が用語を選ぶ場合だけでなく、用語の方が人の思想に影響を及ぼす場合もあることなどが説明された。
そして今日のところ“後半”では、谷崎が“前半”において箇条書きにまとめた、用語の選び方の五つの指針について一つずつ、取り上げられる。それでは読み始めよう。
一 分かり易い語を選ぶこと
これが用語の根本の原則でありまして、分かり易い語といううちには、文字も含まれていることは勿論であります。(抜粋)
この原則は、誰にでも明白だが、故意にむずかしく持って廻った言い方をする流行がある。谷崎は、白楽天が自分の作った草稿をおばあさんやおじいさんに読んで聞かせ、彼らに分からない言葉があったらそれを平易な言葉に置き換えたという故事を引き、
現代の人はこの白楽天の心がけをあまりにも忘れ過ぎております。(抜粋)
と言っている。
二 なるべく昔から使い慣れが古語を選ぶこと
ここで新語と言うのは、明治以降に西洋の分化が這入ってからの言葉であり、古語と言うのは、それ以前の言葉である。そして、古語にも古いものから徳川時代に作られた言葉まであるが、そのうちで今なお一般に使用されている言葉である。
この新語は、多くが西洋語の翻訳であるので、人に依り、時代に依って訳し方がまちまちである。また流行の流行りすたりも激しい。
文章は、現代の人だけに読んでもらうものでなく、都会の人だけに読んでもらうものでもない、出来れば後世の人、片田舎の老翁にも読んでもらえることに越したことはない。そのためには、人に依り時代により意味の変遷が激しい言葉を使わない方が良い。
また、古語に国語系統のものと漢語系統のものとがあるが、できればわざわざ難しい漢字をもちいない国語系統の言葉をもちいることをお勧めする。
漢語の並び及び漢字のことについては次の項で取り上げる。
三 適当な古語が見つからない時に、新語を使うようにすること
古語と新語
新語でも、すでに十分使い慣らされ古語と変わらないほど行わたっているものもあるので、そういうものはそれほど気にしなくてよい。しかし、最近出たばかりの少数の人が使っているような、一般に広がるか分からないようなものは、避けた方がよい。また、そのような寿命の短い新語を無暗に使うと、その人柄が軽率に見えるばかりである。
また、「飛行機」のように現代の要求によってできた新語は古語の同義語がない。近代科学が生み出した熟語、技術語、学術語の多くが同様に古語はないものである。
が、ここで私が特に皆さんに御注意申し上げたいのは、適当な古語が見つからない時に、始めて新語を使うべきであって、なるべく古語で間に合わせようとするこころがけを忘れないことであります。(抜粋)
谷崎は、新語を使わない場面が案外多いとし、具体的な例を示している。そして、そのような云い方のほうが、多くの人たちに分かり易く、かつ親しみやすいと言っている。
もちろん新語にはそれが作られた理由があり、厳密にはそれに代わる古語はない、しかし、論理や事柄の正確性を要求されない場合は、それほど語の意味を狭く限定する必要はない。
文章のコツは「言葉や文字で表現できることと出来ないことの限界を知り、その限界内に止まること」である(ココ参照)。
そして谷崎は次のように言っている。
もし皆さんが、どこまでも意味の正確さを追い、緻密を求めて已まないのであったら、結局どんな言葉でも満足されないでありましょう。ですから、それよりは、多少意味がぼんやりした言葉を使って、あとを読者の想像や理解に委ねた方が、賢明だと云うことになりましょう。(抜粋)
漢字の禍について
現代の人々が必要以上に新しい言葉を造りたがるのは、漢字と云う重宝な文字があることが、却って禍しているせいであります。(抜粋)
漢字は、一つの文字が一つの意味を表すため、新語を造るには便利な文字である。それゆえ明治以降に学術語や技術語を翻訳するのにさほど困難を感じなかった。しかし、その結果
言葉は一つの符牒であると云うことを忘れて、強いて複雑多岐な内容を、二文字か三文字の漢字の中に盛り込もうとするようになりました。(抜粋)
外国のものをどんなに適切に漢字であらわしても、実物を見なければ決して合点がいかない。言葉はその名詞であらわされている物を知っているものの間だけに通用する符牒である。そうであるから、必ずしも二文字三文字の漢字でその物の性質を現わさなくてもよい。名詞は、その物を呼び合う合言葉の役目を果たせばよいので、同一のものを呼ぶときに幾通りもの呼び方があっては紛らわしくなるだけである。
しかし、現代の人は、この道理をわすれて、競って新しい漢字の組み合わせを造っている。
やさしい固有の日本語を使うこと
このように新語は、大抵は漢字二文字三文字の和製漢語なので、それに昔からの本来の漢語を加えると、世間で使われる漢語は予想外に多くなる。そしてその和製単語は、文章だけでなく話し言葉でも使われ、気取っているだけで滑稽ですらある。
そして谷崎は、新語のいみならず古語においても、なるべく漢語風の云い方を避けて、やさしい固有の日本語に立ち返ることを希望すると言っている。
そのためには、やはり音読の習慣を養い、耳だけで意味を理解することが役立つ。
職人言葉から学ぶ
また、熟語を造るにしても漢字が便利であるが、日本風の云い方でも随分いろいろと云えることがある。
その点では、大工、左官、建具屋、指物[さしもの]師、塗師[ぬし]屋、表具屋と云う類に、職人の技術語は大いにわれわれの参考になります。(抜粋)
ここでは、そのような例として「ウチノリ」「ソトノリ」「トリアイ」などをあげている。このように職人語は簡単な言葉であるが、結構それで間に合っている。
そして、そのような職人の云い方をまねて、「社会」を「世の中」、「徴候」を「兆し」「予覚」のような簡単な日本語を使うことにすれば、それほど漢字の御厄介にならずに済むのである。
四 古語も新語も見つからない時でも、造語、 — 自分で勝手に新奇な言葉を拵えることは慎むべきこと
新しい思想や事柄でも、無理に当て嵌まる単語を作り出そうとしないで、古くからある言葉をいくつか結び合わせて、説明すればよい。相当の言葉数を費やした方が良くわかることを、二字や三字の漢語に縮めることは、結局必要な言葉まで省いてしまって用をなさないことになる。
それと同じく文章に略語を使うことは、あまり品の良いものではない。もっとも略語の方が一般的なっていて、本来の言葉を使うと、却って廻りくどい場合もあるので物により、時に依って手加減は必要である。しかし、大抵の場合は、少し馬鹿丁寧に聞こえても正式に云った方が上品である。
そして、外来語の略語も多いが、これは英語を知らない日本人にも外国人にもわからないので、そう云うのは最もよくない。
五 拠り所のある言葉でも、耳遠い、むずかしい成語よりは、耳慣れた外来語や俗語の方を選ぶこと
どんなに日本語系のことばが良いと言っても、古事記や日本書紀にしかない言葉より、一般に通用する漢語の方が良いことは、言うまでもない。また、上品なのがよいと言っても、変に高尚がた、耳遠い言葉は避けなければならない。通俗な言葉でも、実際に必要があって使う時は、それほど下品に聞こえないものである。
むずかしい、生硬な漢語を使って、儀式ばった物云いをする代わりに、やさしく、分かりやすく、噛で含めるように話すことを世話に砕けると申しますが、私は皆さんが、今少し市井の町人や職人などの言語を覚えて、それを文章に取り入れることを、おすすめしたのであります。(抜粋)
特に落語や講談師などの名人上手と云われる人たちの話を聞くことは大いに参考になる。
さらに谷崎は、意味がよく通じる外来語は、強いて漢字を充てないで、言語もままで使うことに賛成であるとしている。漢語の弊害を考えると、外来後になまじ新語を充てるよりも、そのまま輸入してしまう方が、簡単で、明瞭で、時勢に適する。

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