『ネガティブ・マインド : なぜ「うつ」になる、どう予防する』 坂本真士 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第3章 ネガティブ・マインドの仕組み―自己没入の中で起こること
3.1 内在他者と「行動の適切さの基準」
ここから第3章が始まる。第3章では、第2章での議論を受けて、「自己注目」からどのようにうつが生ずるかについて解説している。
まず著者は、「昇進をきっかけにうつに状態になった例」を挙げている。この例では、自分の「内なる声」でどんどん自分を追いつめて、自分につらい思いをさせている。
そして、自己注目こそが、Bさんを追いつめている「内なる声」の正体なのである。うつの本質は、ネガティブな自己へ注目し、それが持続することと考えられる。(抜粋)
次にこれを「完全主義思考」の面から考えている。人は自己に注目すると自己のある側面に対する行動の基準が重要なものとして意識される(第2章2-1節参照)。そしてここでいう「内なる声」は、人から見られる自分(公的自己)を意識し、そのため、行動の適切さの基準が意識されたものである。そして、うつになりやすい人は完全主義で、目標が高いといわれている。
ここで著者は、単に目標を高く設定することは、人を成長させ高いパフォーマンスを引き出すというポジティブな面もあるので、高い目標自体が悪いといえないと注意をしている。そして、実験的にも高い目標を課する傾向と、うつの間に関連性は見出されないとしている。
自己志向的完全主義の中で問題となるのは、自分の行動に漠然と疑いを持つ傾向や、ミスや失敗を過度に気にする傾向である。特に重要だと思われるのは後者だ。(抜粋)
たとえ目指した目標に到達しなかった場合でも、その過程を評価し、自分への「プラス」ととらえれば、ひどく落ち込むこともないが、目標に到達できなかったと「マイナス」の面にとらわれると落ち込むとになる。
完全主義思考が、過度になり「完璧にできなければ成功とはいえない」という考え方に陥ると、それがうつへのアクセルになる。
次に著者は「内在的他者」という視点から「目標の設定」について考える。
まず、自己には「見る自分」(S1)と「見られる自分」(S2)がいるということから話を始める(これはウィリアム・ジェームズ以来の考え方)。
自分のことを意識することは、「見る自分」から「見られる自分」を意識することであるので、S1⇒S2と表す。これは、私的自己注目(S1⇒S2)と同じ状態である。
次に自分に「見る自分」と「見られる自分」があるように、他者にも「見る自分」(O1)と「見られる自分」(O2)が存在している。ここで、S1⇒O2は、自分が他人を客観的に見ることを表す。
そして、我々は、自分が他人の表情や態度から、その内面を想像することがあるが、これは、相手(O1)が自分自身(O2)をどう考えるか(O1⇒O2)を、他人の視点に立って自分(S1)が認知することである。つまり他人の目を通した自己認知であり、これをS1⇒O1⇒O2と表す。
これと類似して、自己認知に他者の目(O1)から自分(S2)がどう見えるか、つまり他者の目を通した自己認知があり、これは、S1⇒O1⇒S2と表される。これは公的自己注目(S1⇒O1⇒S2)の状態である。
このS1⇒O1⇒S2は、実際の他者の目を通した自己注目であるが、これは必ずしも実際の他者がいなくても生じる。これは、自分の中にある「人の目」(内在他者)を通しての自己注目である。ここで、この内在他者をO‘1と表すと、S1⇒O’1⇒S2と表される。
私たちは、現実の他者を目の前にしなくとも内在他者の目を通して公的自己に注目することができるのである。(抜粋)
公的自己には、実際の他者を通して行う、S1⇒O1⇒S2と内在他者を通し行う、S1⇒O‘1⇒S2があるということ
私たちは、一般的な他者だけでなく、いくつもの「内在他者」を持っていて自分の行動を評価・調整している。制御理論(ココ参照)での意識される行動の適切さの基準には、私的自己の基準と公的自己の基準があるが、これは私的自己の基準がS1⇒S2であるのに対して、公的自己の基準がS1⇒O‘1⇒S2をとして意識される。
ここで問題になるのは、この私的、公的自己をどのあたりに設定するかであるが、これは、
幼少期の重要他者(特に両親)からの影響が考えられる。(抜粋)
この、子供の完全主義的な傾向になる可能性として著者は3つのモデルを上げている。
①.社会的期待モデル・・・・重要他者が子どもに対して高い期待を抱き、その期待を子どもが取り入れるため、完全主義になるという考え方。
②.社会学習モデル・・・・重要他者自身がもっている完全主義傾向を子どもが学習するという考え方。
③.社会的反応モデル・・・・子どもが重要他者から虐待を受けている場合など、自分が完全ならば誰も自分を傷つけることは無いだろう考え、完全主義的傾向になるという考え方。
この内在他者の厳しさを何が決めるかについて、著者は、「厳しい評価」は「罰を怖れる傾向」の強さに関係するという仮説を紹介している。この「罰を怖れる傾向」は、遺伝的にある程度決まっている(クロニンジャーの理論)。
損害回避傾向の強い人は、罰を避ける傾向が強いゆえに、罰を与える他者をおそらく脅威的な人物として内在化しやすいだろう。そのため、脅威的である内在他者を通して、より厳しい目で自分を評価すると考えられ、落ち込みの発生に関連している可能性がある。もっとも、これは仮説段階の話で今後の検討が必要である。(抜粋)
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