「太平洋戦争へのいろいろな見方」
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

5章 太平洋戦争 太平洋戦争へのいろいろな見方

第5章は太平洋戦争の話。ここで著者はこの講義を聞いている中高生の質問

1.日本とアメリカに戦力差があることが分かっているのになぜ日本は参戦したのか
2.日本軍はどのように戦争を終わらせようとしたのか

のような質問を答える形で話を始める。

まず、ひとつめの質問の答えとして、このように述べている。

当時の日本とアメリカの国力差は国民生産では、12倍、鋼材で17倍、自動車保有数では、160倍、石油は721倍もあった。[山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館] このようなことは当時でも知識人には自覚されていて、政治学者の南原繁などは、

人間の常識を超え学識を超えおこれり日本世界と戦う(抜粋)

といって戦争を憂いていた。
しかし、国力差を自覚することと国力差のある戦争に反対することは分けて考える必要があると著者は指摘する。実際に中国文学の竹内好、作家の伊藤整などは、この戦争を肯定的にみてある種の感激をもって迎えていた。
著者は竹内好の文章を引用してから、

ここからわかるのは、日中戦争は気がすすまない戦争だけれども、太平洋戦争は強い英米を相手にしているのだから、弱いものいじめではなく明るい戦争なのだといった感慨を、当時の中国通の一人であったはずの竹内が述べているわけですね。(抜粋)

と解説している。

そして、庶民の戦争の捉え方も、庶民の手紙や日記から竹内や伊藤と同じような感慨を持って受け止められていたことがわかる。(吉見義明著『草の根のファシズム』、東京大学出版)

つぎに二つ目の質問の答えとして、戦争をどのように終わらせようとしたかについては、

とにかく相手国の国民に戦争継続を嫌だと思わせる、このような方法によって戦争を終結に持ち込めると考えていた。冷静な判断というよりは希望的観測だったわけですが。(抜粋)

と言っている。
昭和天皇は、この戦争をどのように終わらせるかを大変心配していた。天皇は軍部に繰り返し英米相手の戦争が可能なのか質問した。そして、その天皇を説得するために軍部が用いたのは、大坂冬の陣のたとえ話であった。

開戦を決意せずに戦争をしないまま、いたずらに豊臣氏のように徳川氏に滅ぼされて崩壊するのか、あるいは、七割から八割は勝利の可能性がある、緒戦(しょせん)の大勝に賭けるかの二者択一であれば、これは開戦に賭けるほうがよい、との判断です。このような歴史的な話をされると、天皇もぐらりとする。(抜粋)

さらに東条英機が首相になると「対英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を作り、天皇に説明した。しかし、この案は多分に他力本願の案であった。
また、参謀本部は「対英米蘭戦争における初期および数年にわたる作戦的見地について」という書類をつくり、開戦初期こそ相当の被害が出るが、「戦いつつ自己の力を培養すること可能」として天皇を説得した。しかしこの書類の根拠の数字は見当違いの物であった。


関連書:山田朗(著)『軍備拡張の近代史―日本軍の膨張と崩壊』吉川弘文館1997年
   :吉見義明(著)『草の根のファシズム: 日本民衆の戦争体験』岩波書店(岩波現代文庫)2022年

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