原爆投下の是非と核の均衡 — 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利(その3)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

Reading Journal 2nd

『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第2章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利(その3)

今日のところは「第2章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利」、“その3”である。前回”その2“では、第一次世界大戦後に起こった「議会制民主主義」と「ファシズム」「共産主義」の誕生をカール・シュミットの「議会制民主主義批判」との関連によって理解し、そして第二次世界大戦で「ファシズム」が排除されるたことが説明された。

今日のところ”その3“は、日本への原爆投下の是非の議論核の均衡による冷戦、さらに共産主義体制が崩壊することによる冷戦の終結までを取り扱っている。それでは読み始めよう。

原爆の投下の正統性論理

第二次世界大戦が終了する直前に広島と長崎原爆が投下された。この原爆投下は通常以下の論理で正当化されている。

原爆の投下がなければ、日本政府は敗戦を受け入れようとはせず、そのため、日米両軍の戦闘員により多くの死傷者が出たばかりでなく、日本の都市部への空爆が継続されることで、日本の一般市民にも多大な犠牲が生じたはずである。原爆の投下は、全体として見れば、より少ない犠牲で所期の目的である日本の無条件降伏、そして戦争の終結をもたらした点で正当化されるというわけである。(抜粋)

しかし、著者はこの論理は功利主義にすぎない、としている。

マイケル・ウォルツァーの「究極の緊急事態」と原爆の投下

政治哲学者のマイケル・ウォルツァーは、このような論理で原爆の投下無差別空爆正当化しえないと論じている。ウォルツァーは、

  • 無条件降伏は、アメリカ政府の設定であり、もし両国の犠牲が耐え難いならば当時の日本政府が受諾可能な線で戦争を終結できた。
  • 都市部への空襲は、アメリカ政府の判断で行った。このような行為が耐え難いというならば、自らの判断で停止できた。

であるとし、原爆の投下は正当化しえないと主張した。

しかしウォルツァーは、「究極の緊急事態」(=戦闘員と非戦闘員の区別という国際法の根本原則に反した都市部への空爆などが許される事態)はありうると考える。

この「究極の緊急事態」は、アメリカが参戦する前のイギリスのように、強大な敵の前に自分たちの生き方自体が破壊される危険性がある状態に置かれたときである。そのような状況では、通常の道徳律を踏み越えてでも、守る手段を講じなければならない。

しかし、この「究極の緊急事態」では、日本への空爆や原爆投下は正当化できないとウォルツァーは主張する。

日本は、たしかに危険な拡張主義国家ではあったが、ナチス・ドイツと比肩しうるほど邪悪な体制ではなかったというのが、ウォルツァーの診断である。(抜粋)

バビッドの批判と冷戦戦略の正当化論理

このウォルツァーの主張に対して、フィリップ・バビッドは、このようなウォルツァーの議論は、憲法原理の対立という戦争の様相を正面から捉えていないと批判した。

まず、戦争の原因が両国の憲法の相違、国家の正統性原理の対立であるのであれば、日本の憲法を書き換え、日本をファシズム陣営から議会制民主主義陣営へ組み込まない限り日米の対立はいつか再燃する。そのため、アメリカが自国の憲法を維持しつつ国際平和を実現するためには、対立する憲法原理を有する国に侵攻して、占領してでも、相手の憲法を書き換えることが必要だったとバビッドは主張した。

ここで著者は、このバビッドの主張が妥当か否かを評価するためには、核兵器による大量報復能力を保持することで平和を維持するという、冷戦下の東西陣営の戦略の意義を含めて考察する必要があると言っている。

冷戦下の東西陣営の均衡は、核による大量報復の「威嚇」という本来なら道徳的に正当化されえないことにより成り立っていた。そのような状態は、やはりウォルツァーのいう「究極の緊急事態」が対立する両陣営にとって存在したからであると考えられる。

対象的な大量破壊兵器の保有による「威嚇」は、双方による「実際の行使」と双方の「殲滅」の可能性を排除しえた限りにおいてのみ、この継続的な「究極の緊急事態」への対処方法として正当化する余地が生まれる。(抜粋)

しかし、著者はこのような冷戦戦略の論理から逆算しても、日本への原爆投下がバビッドの論理から正当化できかは疑問があると言っている。

冷戦の終結

冷戦は、異なる憲法原理、国家権力の異なる正当化根拠を掲げる二つの陣営の戦争状態であった。(抜粋)

両陣営は、核兵器の大量報復の可能性を確保し戦線を膠着させる戦略をとった。それは長期的には相手陣営が内部矛盾によって、崩壊することを期待していた。そして、ソ連が冷戦状態を維持する気力を失い、その憲法を変更することに同意した。

一九九〇年一一月、欧州安全保障協力機構は、ソ連も含む参加各国が議会制民主主義を採用することで合意に達し、国民国家の憲法原理をめぐるthe Long Warは終結した。(抜粋)

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