[再掲載]「散り散りに地底へ帰る一百八星」(水滸伝)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

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(初出:2009-04-14)

「中国の五大小説」(下) 井波律子 著

『水滸伝』の巻 — 一百八星、数珠繋ぎの物語 八 散り散りに地底へ帰る一百八星 — 豪傑たちの退場

梁山泊軍はついに招安され百八人の豪傑たちは武装に身を固め隊列を組んで開封の城内に入る。また宋江は梁山泊の建物などを整理して二度と梁山泊に戻れないようにして退路を断った。

これより官軍として梁山泊軍は二度の大きな戦いに臨むことになる。はじめの戦いはりょうとの戦いで、二回目は方臘ほうろうとの戦いである。この二度にわたる戦いの描写は幻想的な雰囲気があり、伝統中国の文学作品に顕著な怪奇嗜好を取り入れている。

まず、梁山泊軍は徽宗の命を受け大遼国と戦いに臨む。この時、遼王は梁山泊軍に恐れをなし、有利な条件を提示して梁山泊軍を招安しようとする。この使者がこの王の意向を伝えた時、呉用は、四悪人が跋扈する北宋に仕えても先行き見込みがないので、いっそ遼に仕えたほうが良いと宋江に意見を述べるが、宋江は「宋王朝がわしを裏切っても、わしは宋王朝を裏切らない」といって受け付けなかった。結局、梁山泊軍は遼を撃破して百八人の主要メンバーは揃って生還するが、四悪人の妨害で思わしい論功行賞も受けられなかった。

この遼との交戦は、史実には全く見られず、「こうあればよかった」という人々の願望が反映されている。

次に方臘との戦いにおいては、激戦の中、次々と主要メンバーがあっけなく命を落とし退場していく。この方臘との戦いは梁山泊メンバーを退場させる物語的な仕掛けである。

戦いが終わった後に生き残ったメンバーは三十六人に過ぎず、さらに都開封に戻ったのは二十七人になっていた。そして、そのメンバーも四悪人の罠にはまる事を恐れ、次々に退場していった。そして、最後まで宋江と行いを共にしたメンバーの最期は、悲惨を極めた。
宋江も四悪人の指示を受けた使者に遅行性の毒を飲ませられる。自分の死期を知った宋江は、自分の死後に李逵が謀反を起こすことを恐れ、李逵にも遅行性の毒を飲ませた。そして死後二人は宋江がかねてから墓所と決めていた蓼児洼に一緒に葬られる。蓼児洼は梁山泊と風景がよく似ている場所であった。さらに、その後に蓼児洼をおとずれた呉用と花栄が縊死する。

こうして蓼児洼に四つの墓が並ぶ、ひえびえとした風景をもって、水滸伝世界は基本的に幕を下ろします。地底から天空に飛びちった百八人の魔王は、ふたたび地底に帰ったことを暗示する結末です。

こうしてみると、『水滸伝』も『三国志演技』『西遊記』と同様に中国古典小説の特徴が受け継がれている。それは、

  1. 登場人物の性格は固定して、時間とともに成長する事はない
  2. 登場人物の内面描写、心理描写もなく「全能の語り手」も存在しない
  3. 「見えるもの」「聞こえるもの」に重点をおく演劇的物語作法

などである。

『三国志演技』、『西遊記』と比べると『水滸伝』は語りの表現も構成も、語りの現場の雰囲気を濃厚に残していて、種々の「水滸語り」をそのまま残している。




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