「戦争と社会契約」
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

序章 日本近現代史を考える 戦争と社会契約

前節では、国家が戦争の犠牲の多い戦争を戦った場合や、総力戦という戦争をする場合に、新しい憲法、社会契約が必要となることについて解説した。
ここでは、視点を変えて戦争が敵対する相手国にどういう作用をもたらすかについて考察する。

ここで著者は、長谷部恭男の『憲法とは何か』という本に書かれているルソーの論文について話を進める。

長谷部先生はこの本のなかで、ルソーの「戦争及び戦争状態論」という論文に注目して、こういっています。戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと。(抜粋)

つまり戦争とは、相手国の最も大事な社会秩序(広い意味での憲法)を変えてしまうものであるというのがルソーの考えである。
18世紀に活躍したルソーは、第二次世界大戦はおろか19世紀に起こった南北戦争も知らない。しかし、彼の述べた戦争の根幹は、現在に至る戦争にも当てはまるものである。

序章では、アメリカの同時多発テロ後の戦争と日本の日中戦争期の意外な共通性。さらに、リンカーン大統領の演説と戦後に書き換えられた憲法の意外な共通性について考察した。

こういった共通性は、ある一定の視角から眺めていなければ見つけることができなかったわけです。最初の例でいえば、戦争の「かたち」という部分に気がつけるかどうか。二番目の例でいえば、巨大な戦争の後には基本的な社会秩序の書きかえがなされる、とのルソーの真理に気づけるかどうか。歴史的なものの見方ができるかどうかという場合、こうした、歴史的なものの見方に気づけるかどうか、が問われているところになります。(抜粋)

関連書:長谷部恭男(著)『憲法とは何か』岩波書店(岩波新書)2006年

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