『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
4章 満州事変と日中戦争 戦争の時代へ(前半)
この節は、日中戦争に向かう時点での日本と中国の状況を解説している。まず日本の軍部と日本国民の関係についてから話をはじめる。
著者は、軍部が政治に介入する事は立憲制の世の中では不当で正しくないことと前置きしたうえで、軍部のように政治に干渉してはいけない集団が、政治でなかなか実現できないような政策、人々の要求にかなっているように見える政策を実現しようとした場合はどうだろうか?と問いかけをする。
満州事変から日中戦争の間の六年間に起こっていたのは、そのような悩ましい事態でした。(抜粋)
当時は、国民の約半数が農民だったが、農民が実現したい政策はなかなか議会を通過しなかった。そして、世界恐慌がはじまり農民もその影響を受けるようになる。
このようなときに、「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」と断言してくれる集団が軍部だったのです。(抜粋)
また、軍部からみると軍隊に入る兵士たちのもっとも重要な供給源が農村だった。戦争が始まれば農村や労働者の生活が真っ先に苦しくなるのだが、このような軍部のスローガンにより、政治や社会の変革の主体として陸軍に期待する国民の目線はあった。
このように国民の生活の保護などを積極的に言い出した理由は、陸軍の分析にあるという。陸軍がどうしてドイツが第一次世界大戦に巻けてしまったかを分析し、そしてその理由として
○「列強の経済封鎖に堪ええず、国民は栄養失調に陥り、抗争力戦の気力衰え」
○「思想戦による国民の戦意喪失、革命思想の台頭」(抜粋)
をあげている。そして、今後の戦争の勝敗を決めるのは「国民の組織」と結論する。これにより、兵士の主な供給源の農民をどう組織するかを軍部は考えた。
また、当時の陸軍がこのように国民に対する宣伝をした背景には、国民を組織化以外に、当時の中国をめぐる情勢もあると著者は指摘している。当時、ソ連の軍備増強により日本は劣勢に立たされていた。満洲国という傀儡政権を作った日本は、ソ連の復活により満洲国だけでは安心できない状況に置かれていた。ここで日本は、華北地方を中国から分離して日本の傀儡となる政権を作ろうとした[華北分離工作]。これにより中国の宥和派も日本から離れ中国と決定的に対立することになる。ここで、日本が華中と華北を分離したため華中の経済力は落ち、日本の対中貿易も低迷した。その低迷は日本自身の政策の影響だったが、日本はそれを、中国のボイコットと国民に宣伝した。
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