仏教の展開と日本(前半)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 仏教の展開と日本 序説(末木文美士)(前半)

「はじめに」が終わり、今日から本編に入る。今日のところは「第一章 仏教の展開と日本」である。ここでは、ゴータマ・シッダッタ(釈迦)に始まる仏教の流れを、主な考え方や経典などを説明しながら、初期仏教から東アジアへの伝来、そして日本での発展をコンパクトにまとめている。それでは、読み始めよう。

第一章は、”前半“と”後半“に分けることにする。仏教の発展を釈尊の誕生からインド仏教の発展までを”前半“、その後、インドから東アジアに伝わった仏教がやがて日本到達し発展するまでを”後半“でまとめる。それでは読み始めよう。

仏教の諸形態

仏教の三つの流れ

仏教には三つの流れがあり、その性格は大きく異なっている。

  1. 南伝系:スリランカから東南アジア(ミャンマー、タイ)に伝わった系統。パーリー語(インド系)の言語を用いる。
  2. 東アジア系:中国・韓国・ベトナムさらに日本に伝わった系統。漢文が中心。
  3. チベット系:チベット、その後モンゴルに伝わった系統。チベット語を用いる。

このように系統は大きく分かれるが、その源流は、紀元前四世紀、またわ五世紀のインドに遡る。

仏教の開祖は、ゴータマ・シッダッタである。彼はシャーキャ(釈迦)族の王族の出身であるためシャーキャ・ムニ(釈迦牟尼、釈迦族の聖者)、あるいは釈尊如来世尊と呼ばれる。ここで著者は、一般にブッダ(仏陀・仏)と呼ばれるが、この呼称はもともと「悟った人」という意味で、必ずしも一人とは限らないと注意している。

ブッダは、現在のネパール地方の王族の出身とされ、俗世の生活に満足できず出家して二九歳、あるいは三五歳で悟りを開き、その後ガンジス川中流域で伝道をつづけ80歳で亡くなった。

ブッタ滅後、その弟子たちにより教団は維持された(原始仏教)。

そして、ブッダ滅後百年頃から教団が分裂し、二〇から三〇の部派にわかれる(部派仏教)。その一つが上座仏教で、現在の南伝系の仏教の源流となる。

部派が互いに批判し合う中か大乗仏教が現れた(大乗仏教の立場から、その他の仏教を小乗仏教と呼ぶ)。この大乗仏教が東アジアに渡り、紀元前一世紀ごろに中国へ伝わった(東アジア系)。この中国への仏教の伝来は、中央アジア経由と南方の海経由があるが、中央アジア経由の方が盛んで、北西インドの仏教が主に伝わる。

チベット系の仏教ははるかに遅れて七世紀ごろとなる③。そのためチベット系仏教は大乗仏教の後期のものが中心となり、東アジア系と大きく相違するものとなった。

初期仏教の思想

ブッダ自身の教えは、

教理的には比較的単純で、この生の苦悩から離脱することを目標として、実践を重視したもので合ったと考えられる。(抜粋)

としている。

初期仏教の基本精神をあらわすものとして、

  • 三法印さんぽういん諸行無常しょぎょうむじょう諸法無我しょほうむが涅槃寂静ねはんじゃくじょう
  • 四法印しほういん:三法印に一切皆苦いっさいかいくを加えたもの
  • 南伝系では、無常無我の三つを根本とする。

がある。

ここで「苦」とは、人生のあり方を苦と見ることであり、そこからの離脱が仏教の目標とされる。苦は、無常によって生ずるとされる。

このは以下のように分類される。

  • 四苦:生・病・老・死
  • 八苦:四苦に「愛別離苦あいべつりく(愛する人と別れる苦)」「怨憎会苦おんぞうえく(いなや人と会う苦)」「求不得苦ぐふとくく(求めるものが得られない苦)」「五蘊盛苦ごうんじょうく(すべてのものが苦に満ちているということ)」を加えたもの。

そして「無我」とは、永続する実体的な自我(アートマン)が存在しないことである。

この「無常」と「無我」は、セットになる。あらゆるものに実態がない(無我)であるため、あらゆるものは変化する(無常)ことになる。そしてあらゆるものがはじめから不変のものとしてあるわけでなく、何らかの原因で生ずる、それを縁起という。

無常や無我であることがそのまま苦というわけではない。無常の理を知って、執着から離れるならば、それはくとは逆の楽(幸福)を生むことになる。その究極的な状態が悟りであり、涅槃である。涅槃寂静とは、涅槃に達して心が静まる状態である。それに対して、無常の理を知らずに、変化するものに執着するとき苦が生まれる。(抜粋)

そして執着を離れるためには修行が必要である。その修行は、

  • かい:規則正しい生活をおくる
  • じょう:精神集中して心の散乱を防ぐ
  • 慧(智慧):正しい智慧を身につける

の三つであり、それを三学という。

この修行をするために、出家して男は比丘びく、女は比丘尼びくにになり、その比比丘、比丘尼の集団をサンガ)と呼ぶ(東アジアでは、個人の修行者を僧とよぶこともある)。

仏の教え(法)三宝さんぽうと呼び、三宝を信じて拠り所にする(帰依)によって、仏教信者となることができる。

大乗仏教の形成と思想

ブッダは真理の発見者であり、その教えはブッダが亡くなっても変わることはない。しかし、実際の新興の立場からすれば、ブッダが亡くなったことは大きな衝撃であった。(抜粋)

ブッダが亡くなることは完全な涅槃(無余涅槃)と呼ばれた。ブッダの教えからすれば、亡くなったブッダを崇拝する必要はないが、実際には、ブッダの遺骨(舎利)を祀った仏塔(ストゥーパ)に対する信仰が盛んになり、そこからブッタの伝記(仏伝)やブッダの前世の善行の話(ジャータカ)が発展した。

そのような経緯により、ブッダは前世を含め菩薩(ボーディサットヴァ)と呼ばれ、布施持戒忍辱にんにく禅定智慧六つの徳目(六波羅蜜)を実現することにより悟りを開いたという考え方が生まれた。

このような修行を実践することにより誰でも悟りに至ると考えられるため、ブッダは釈尊(ゴータマ・ブッタ)だけに限る必要は無くなる。そして釈尊は七人目のブッダという説(過去七仏かこななぶつ)も現れる。反対に、釈尊の次にこの世に出現すると考えられたのが弥勒みろく(マイトレーヤ)仏であり、現在は兜率天とそつてんで待機しているという考えが生まれた。ただし、一つの時代に現れるブッダは一人

大乗仏教はこのようなブッタ感の進展の中で生まれた。世界がこの世界だけでなく無数にあるとすれば、ブッダもそれらの世界ごとに出現してもよい(現在地方仏)。多仏の可能性を認める『無量寿経』の中で説かれる阿弥陀仏(無量寿仏)は、この現在地方仏の典型で、菩薩として修行が成就して、極楽世界にいるとされている。

このように多数のブッダが考えられると、自分も菩薩の修行をしようとするものが現れる。そして、この菩薩の修行は、自分だけの利益(自利)を求めるのではなく他人の利益(他利)も図るところに特徴がある。

経典としては、誰もが菩薩として仏になる可能性を持つと説くのが『法華経』であり、菩薩の修行の途を説くのが『華厳教』である。

大乗仏教の教理は、「空」を説くところに特徴がある。空は、初期仏教の無我が発展したもので、物事に固定した実態がないからこそ、自由なはたらきが可能になると説く。そしてそれを正しく知る智慧が六波羅蜜の最後の般若波羅蜜である。このことを説く大乗経典が『般若経典』である。

この「空」の理論は、ナーガールジュナ龍樹りゅうじゅ、二世紀ごろ)によって大成した。この流れを受けたのが中観派ちゅうがんはである。その後、大乗仏教理論としては、人間の心の分析を精緻に進めた唯識説ヴァスバドゥ世親せしん)によって確立された。この唯識派は、中観派と並ぶインド大乗仏教の大きな学派である。その後大乗仏教は精緻化するとともに、密教が大きく発展する。

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