[再掲載]「男が男に惚れるとき」(三国志演義)
井波 律子『中国の五大小説』(上)より

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(初出:2008-06-24)

「中国の五大小説」(上) 井波律子 著

『三国志演義』の巻ーーー興亡の歴史と物語の誕生 五 男が男に惚れるときーーー勇者の邂逅

三国の中の一国である呉の初代は孫堅そんけんである。しかし、彼は確固たる根拠地を持たないうちに不慮の死を遂げる。そして長男の孫策そんさくが跡を継ぎ拡大・強化に努める。しかし孫策もまた数年で命を落とし、二男の孫権そんけんが政権の担い手となる。
この孫堅、孫策、孫権の親子は、みな先頭に立って攻める気概のあふれるタイプのリーダーであった。

この孫策が劉繇りょうようと戦っていた時に、逃げる孫策を追って来たのが太史慈たいしじであった。彼らは死力のかぎり戦って結局引き分けとなる。まもなく劉繇は孫策に敗れた。その時いけどりになった太史慈は、孫策の丁重な扱いに感激してみずから降伏を願い出る。

一対一でとことん戦ったことを通じて、心の底から信頼しあう固い絆で結ばれたといえます。こうした太史慈の生き方は、演義世界の底流にある「きょうの精神」を体現したものにほかありません。

その後、孫策は二十六歳でこの世をさり、太史慈の方も「赤壁の戦い」の直後に張遼との戦いで重傷を負い、息絶えてしまう。

演義の世界で男性同士の「侠」を体現したのは、まず関羽である。
曹操は呂布討伐後に勢力を強め、献帝をないがしろにする。それに憤慨した董承とうしょうなどの朝臣がクーデターを計画する。その計画に劉備も加わるが情勢が不利となると口実をもうけて徐州に戻ってしまう。クーデターはあえなく露見し、曹操は朝臣たちを虐殺する一方で、劉備のいる徐州に総攻撃をかける。劉備は命からがら単騎で袁紹えんしょうのもとへ逃げ込み、張飛は山中に逃れる。
しかし、ここで関羽は一人踏みとどまり劉備の二人の夫人を守りぬこうとする。そして、関羽は張遼の説得により、劉備の行方がわかったらすぐに立ち去るなどの「三つの条件」を曹操に認めさせた上で、降伏する。曹操は豪快な関羽に惚れこんでいるため、彼を手厚くもてなした。関羽は曹操のために戦い大手柄を立てるが、劉備の所在が分かると曹操のもとを脱出して、二人の夫人を庇護しながら劉備のもとへ走る。このあとが関羽の「五関に六将を切る」演義の名場面である。

曹操はこうして惚れ込んだ関羽にソデにされるわけですが、そこはさすが曹操の度量の大きいところ。そこまで劉備を思うならばと、関所破りを許し、また張遼を使者に立てて、自軍の部将たちに関羽を見逃し、そのまま立ち去らせるように命じたのでした。

その後、劉備、関羽、張飛は再開し力を蓄えて反撃にでるが曹操軍に蹴散らされ、南下して荊州けいしゅうの劉表のもとに身を寄せる。曹操は袁紹亡き後、跡目争いの隙間をついて袁氏を滅ぼし名実ともに北中国の覇者になる。

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