小さな国のふたつの小さな都市
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

九 小さな国のふたつの小さな都市

表題の「小さな国とふたつの小さな都市」って何だろう、と思ったら、つまりギリシアスパルタアテナイ(アテネ)である。第七章第八章に続いて、第九章もギリシアの歴史について。
この章では、古代のギリシアの全体像とその中で特徴的なふたつの都市、スパルタとアテナイ(アテネ)を取り上げているのだが、まずは当時のギリシアについてである。

ギリシアは、ペルシアのような巨大帝国ではなく、商業からなる小さな都市があるのみである。彼らは様々な人種と部族からなり、共通の王や共通の政府を持つこともなかった。しかし、彼らには共通の信仰と共通のスポーツがあった。彼らは父神ゼウスを崇めるために四年ごとに大きなスポーツ競技大会(オリンピアード)を開いた。オリンピアと呼ばれるその地で開かれる競争、円盤投げ、槍投げ、格闘、競馬などの競技で優勝することが、彼らにとって最高の栄誉であった。
オリンピアの競技大会のほかにも彼らが共有していたものがある。そのひとつに太陽神アポロンの聖域デルフォイでの神託がある。火山地帯のデルフォイでは、蒸気を吹き出す割れ目がありその蒸気を吸ったものは、「頭にもやがかかった」ように意味のないことを喋りだした。それをギリシア人は神が人間の口をかりて語っているとみなし、神官にその言葉を解釈させて未来を予言した。これがデルフォイのオラクル(神託)である。

これがデルフォイのオラクル(神託)で、苦しい境遇に立っている人びとは、ギリシアの各地からアポロンをたずねてこの地にやってきたのだ。もちろん予言はときには理解できず、ちがって解釈されることもあった。それゆえ今日でも、はっきりしない、秘密めいた答えのことを「オラクルのようだ」というのだ。(抜粋)

次にギリシアのふたつの都市、スパルタとアテナイの話に移る。
まずスパルタは、紀元前一一〇〇年ごろにギリシア南部に移動してきたドーリス人である。彼らは先住民を奴隷にして働かせていた。そのため、彼らは自分たちが追い払われないように常に警戒する必要があった。彼らは、今日でも「スパルタ的」と呼ばれるような厳しい教育を若者に強いた。その成果は、紀元前四八〇年のテルモピュライの戦いで、スパルタ軍はひとりのこらずペルシア人に虐殺されるまで戦ったことに現れている。
アテナイの人びとは、スパルタの人よりもよりむずかしい道を選んだ。それは、楽しく快適に生きるのではなく、意味を持つ生き方であった。紀元前五九四年にソロンが定めた掟「ソロンの改革」では、都市の民衆はなすべきことをつねに自分で決定しなければならないとされた。そのため彼らはアテナイの広場に集まり代議人を投票による多数決で選んだ。この制度は民主主義、ギリシア語で「デモクラティア」と呼ばれた。
そして全市民の会議(民会)においてアテナイの人は議論をすることになる。その影響もあり彼らは、世界は何からできているのか、現象や出来事の原因は何か、といった思索をかさねる。この思索は、「知を愛すること」哲学と呼ばれた。また、彼らは美の世界でも単純で、気品高く、自然な優しさを持ったものを作りあげた。

以上の二つ、「思慮の深さ」と「形の美しさ」をアテナイの人は、もうひとつの芸術、すなわち文学でむすびつけた。そして生まれたのが、演劇であった。彼らの演劇もまた、スポーツ同様、信仰、バッカスとよばれた神ディオニュソスの祭典と結び付いていた。・・・・中略・・・・・当時演じられた作品の一部が、今日につたえられている。そのなかのあるものは、壮大でおごそかな内容をもち、今日「ギリシア悲劇」とよばれている。また「ギリシア喜劇」とよばれるゆかいな演劇もあり、それは、アテナイ市民の個人を辛辣に、しかも機知に富んだことばでからかったものであった。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました