エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
二五 都市と市民
前回、第24章は、フリードリッヒ一世にはじまりハプスブルク家のルドルフ一世の時代まであった。この二人の皇帝の間の百年にヨーロッパでは実に多くの変化があったと、著者は語り始めた。今日のところ第25章は、貨幣経済による都市の発達、そして英仏の百年戦争についてである。
この頃になるとドイツでも貨幣経済が進み市場が登場する。そして、商人たちが力をつけていった。また手に職を持つ人は、その職種によって「ツンフト」(ギルド)と呼ばれた同業組合を結成し結束した。彼らは都市に教会が建てられるときなどは、その全財産を投げ出し、その豪華さを競った。
フランスはドイツよりも早くに都市が生れ大聖堂が築かれた。フランスの王たちはいち早く彼ら第三身分の市民たちを自分のために利用することを考えた。一三〇〇年ごろから王たちは土地を貴族たちに貸すことをやめ、その管理を市民にゆだね、賃金を徴収した。そのころフランスは南イタリアを支配下にいれていたため、一三〇九年には教皇もローマからフランスに移させフランス王の支配下に置いた。これをバビロニア捕因に結びつけ「アヴィニョン捕因」時代(一三〇五~一三七六年)という。フランスはそれだけで満足せず、一〇六六年にフランスからやってきたノルマン人の王家が統治していたイングランドの支配も要求した。このようにして一三三九年に百年戦争が始まった。そしてイングランド人はしだいに土地を奪いフランスの大半を占領してしまう。
そして奇跡が起こった。神の声を聞いたと信じた素朴な羊飼いの少女ジャンヌ・ダルクが、武具に身をかため、フランス軍の先頭に立ち、イングランド軍を国外に追い払ったのだ。「イングランド人がイングランドにいれば平和はおとずれる」と、彼女はいった。しかしイングランド人のふくしゅうはざんこくであった。イングランド軍に捕らえられたジャンヌ・ダルクは、女魔法使いとして死刑を宣告され、一四三一年火あぶりの刑に処せられた。(抜粋)
この百年戦争の時代は、都市が大きく成長し力のある王や領主が宮廷にあらわれた優雅な時代であった。学問も一二〇〇年ごろからパリの大学が全ヨーロッパから学生を集め、発達していった。
このような宮廷生活や都市生活はドイツにも入ってきた。ドイツ皇帝は一三一〇年以降、ルクセンブルク家が王及び皇帝としてドイツを統治していった。しかし実際はドイツを支配しているのは、王ではなくそれぞれの領土の領主が独立して統治し、ドイツ皇帝はもっとも有力は君主にすぎなかった。
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