偉大なる冒険
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』  
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

一二 偉大なる冒険

古代インド(第10章)、中国(第11章)ときて、第12章は、またヨーロッパに戻ってくる。今日の部分は、「アレクサンドロス大王の大遠征」である。

第9章では、アテナイとスパルタなどのギリシアの都市の繁栄について書かれていた。その繁栄も長くはつづかず紀元前四三〇年ごろにこの二つの都市の間で激しい戦争、ペロポネソス戦争が起こった。この戦争でアテナイは負け城壁も取り壊された、そして、勝ったスパルタの国土も荒れ果て、ギリシア全体が乱れに乱れた。
紀元前三三八年に、ギリシア北方のマケドニア人たちがギリシアを侵略し、ギリシア軍はマケドニアのフィリッポス王の軍隊に敗れる。
フィリッポス王は、ギリシア人とマケドニア人からなる軍隊を編成し遠くペルシア征服を目指す。しかしその途中でフィリッポス王は暗殺されその意思を引き継いだのが、息子のアレクサンドロスであった。

ところで、きみにぜひとも知っておいてもらいたいことがある。若い王アレクサンドロスは、ただ勇敢で野心にもえる戦士であっただけでなく、長い巻き毛をもつうつくしい、そして、当時人が知ることのできたことすべてを知る若者であったということだ。そしてアレクサンドロス世界が知るもっともすぐれた人物、ギリシアの哲学者アリストテレスであった。(抜粋)

アレクサンドロスがこのような王であったため、マケドニア人はもとよりギリシア人もこころひきつけられた。

ペルシアに向かったときのアレクサンドロスは、自信に満ちていた。彼は自分の持ち物すべてを友人たちにあたえた。おどろいて、「あなたには何ものこらないではないか」と問うと、彼らの王は、「いや、未来がある」と答えたという。(抜粋)

アレクサンドロスの軍隊は小アジアに向かい、有名なイッソスの戦い(紀元前三三三年)ののち、エジプトに向かいエジプトをペルシアから解放した。彼はエジプトで自分が正式なファラオであると宣言させ、海沿いにアレクサンドリアという都市を築いた。

そしてその後ペルシアまで進軍しついにペルシアをも征服する。彼の国は、ギリシア、エジプト、パレスティナを含むフェニキア、バビロニア、アッシュリア、小アジア、ペルシアが属することになる。アレクサンドロスはこれで満足せずインドまで遠征する。アレクサンドロスは、インドで崇拝されたというギリシアの神バッコス神になることを望んだ。そして、インダス川流域まで攻め込む。彼はガンジスの谷へと軍を進めようと考えたが、彼の兵士はこれ以上進むのを望まず、アレクサンドロスも帰ることに同意した。

ペルシアに戻ったアレクサンドロスは、バビロンに王宮を構え世界の支配者にふさわしいふるまいをした。彼には多くの計画があったが、紀元前三二三年に病で倒れてしまう。

だれ後継者にするべきかという問いに、熱にうなされていた彼はただ、「もっとも品位のある者を」と答えただけであった。そのような者は、いなかった。彼のまわりにいた軍人や政治家はみな、名誉欲に燃えた、あるいは贅沢の好きな、品位のない人間たちであった。彼らは、たがいに世界帝国をかけて戦い、結局それを崩壊させてしまった。そしてエジプトはプトレマイオス、メソポタミアはセレウコス、小アジアはアッタロスと、それぞれがかつての将軍の一族に占有された。インドは、完全にうしなわれた。(抜粋)

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