「むすび」と「解説(一ノ瀬俊也)」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

むすび
解説 藤原彰『餓死した英霊たち』 一ノ瀬俊也

むすび

むすびは、あらためて日本軍戦没者の過半数が餓死だったという事実にから書き出している。およそ3ページの文章であるが、

その結論は、おおよそ次の通りである。(抜粋)

以降の2ページで本書の内容を簡潔に要約している。
本書は、第1章の各々の戦場での餓死の実態を縦糸に、第2章第3章のその原因の考察が横糸になっている。しかしともすれば著者の思いが先に走り、糸がもつれたり、どうしてこの糸がここにあるのかすぐにわからなかったりしたが、この2ページを読むと、それがしっかりとした織物になっていたことがわかる。ここでは、最後の1パラグラフだけ抜き出しておこう。

そもそも無茶苦茶な戦争を始めたこと自体が、非合理な精神主義、独善的な攻勢主義にかたまった陸海軍エリート軍人たちの仕業であった。そして補給輸送を無視した作戦第一主義での戦闘を指導し、大量の餓死者を発生させたいことも彼らの責任である。無限の可能性を秘めた有為の青年たちを、野垂れ死にとしかいいようのない無残な飢え死にに追いやった責任は明らかである。(抜粋)

解説 藤原彰『餓死した英霊たち』 一ノ瀬俊也

最後に一ノ瀬氏による解説がついている。
まずこの本の目的をおさらいした後に、著者、藤原彰の略歴が載っている。
藤原は、一九二二年に東京で生まれ、中学校を経て陸軍士官学校を卒業し、歩兵として中国戦線で指揮を執ったとある。つまり、自分自身も陸軍士官学校を卒業しているが、本書で批判している幼年学校出ではなく、陸軍大学校にも進んでいない。そして、

敗戦後、「戦争の真実を明らかにしたい」という気持ちから東京大学文学部史学科に進み、一九六七年に一橋大学助教授就任(のち教授)、二〇〇三年に亡くなるまで日本の軍事史研究を牽引し続けた。(抜粋)

とのことである。

藤原の業績は、個別史(南京事件、昭和天皇の戦争責任、沖縄戦)のみならず『軍事史』(一九六一年)、『天皇制と軍隊』(一九七八年)、『日本軍事史』(上・下、一九八七年)などの複数の通史を残したことであり、

藤原の残した通史は、細かい部分では研究や史料公開が進んだ結果、古びたところもあるかもしれない。だが全体としては、今日でもじゅうぶん通読に値する。その理由は、岡部が言うように論理構成が煩雑な思想論を避けた結果、簡潔明快でわかりやすく、一次史料を駆使した実証に立脚しているからである。この点は晩年の『餓死した英霊たち』にも当てはまる。(抜粋)

としている。

一ノ瀬は、背後から立ち上がってくる深い疑問と怒りが本書の魅力であるとして、その由来を知るために、遺書となった『中国戦線従軍記』(二〇〇二年)の概略を紹介し、本書との併読を進めている

最後に、本書が出版されてからの変化について2点触れている。

①.内容への学問的批判
秦郁彦は、論文「第二次世界大戦の日本人戦没者像、餓死・海没死をめぐって」(二〇〇六年)で戦没者を再検討して「南方戦線の六〇%(四八万人)、全戦場では三七%(六二万人)くらいが妥当」としている。しかし、解説者の一ノ瀬は、論文を読んでも根拠がよくわからないと書いている。(この論文は後に『旧日本陸海軍の生態学 組織・戦闘・事件』に再録)
また、秦はこの論文で、吉田裕『日本の軍隊』(二〇〇二年)と同様に餓死とならんで異様な死に方である「海没死」(乗船(艦)が撃沈されることによる溺死)の問題を取り扱っている。

②.今後議論されるべき問題
一ノ瀬は、明治以来兵站制度、機関は整備され続けていて、結局破綻したにせよ、近代日本は長期の対外戦争を続けていたとし、この兵站組織の成立過程の問題を今後研究されるべき問題としている。


関連図書:
藤原彰(著)『軍事史』1961年
藤原彰(著)『天皇制と軍隊』、青木書店、1998年
藤原彰(著)『日本軍事史』(上・下)、社会批評社、2006年
藤原彰(著)『中国戦線従軍記』、岩波書店(岩波現代文庫)、2019年
秦郁彦(著)『旧日本陸海軍の生態学 組織・戦闘・事件』、中央公論新社(中公新書)、2014年
吉田裕(著)『日本の軍隊: 兵士たちの近代』、岩波書店(岩波新書)、2002年

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