『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第三章 日本軍隊の特質 – 5 降伏の禁止と玉砕の強制(後半)
日本軍では、捕虜となることを禁じられていた(前半参照)。戦場で行き詰ると「餓死」か「玉砕」になるほかなかった。
ここで著者は、アッツ島の守備隊が米軍の圧倒的な火力を持って上陸した時に状況を記述する。守備隊は孤立無援となり、大本営も北方軍も何も救援の措置をとれなかった。
キスカ島にある北海守備隊長は、五月一五日にアッツ島の第二地区隊にたいし、「各人所持ノ軍隊手牒其ノ他ノ手記等二依リ機秘密ノ漏洩セザル様一般二留意処置セラレ度」と電報し、暗に玉砕の用意をせよと命じている。(抜粋)
玉砕を避ける唯一の道は、降伏であるが、大本営以下は、何の救援策をとらずに玉砕するのを待っていた。
情況がまったく絶望的になった場合に、高級指揮官は降伏を命ずるべきでは無かったかと、著者はいっている。また、それはまさに大岡昇平の『レイテ戦記』の問いかけでもある。
ここで、著者は、高級指揮官がその良心に従って部隊を救った事例として、独立混成第五十四旅団北条藤吉少将の事例を取り上げている。フィリピンのミンダナオ島で防衛にあたっていた同旅団は、正面から上陸してきた米軍の圧倒的火力のため陣地を失い、転進したが米軍の攻撃は止まなかった。そして、ついに、北条団長は、「部隊解散」を命令し自決した。
北条少将としては、これ以上部下を餓死させたくなければ、降伏以外に道はないというところまで追いつめられていたのである。しかし降伏は認められない日本軍人としては、自決そして部隊解散というのが最後の選択であったのかもしれない。(抜粋)
最後に著者はこのように語って、この節を結んでいる。
いずれにせよ日本軍の捕虜の否定、降伏の禁止というきびしい方針は、戦況不利の場合に日本軍にたいし悲劇的な結末を強制することになった。餓死か玉砕という選択を、いやおうなしに迫られることになったのである。
尽くすべきことをすべて尽くし、抵抗の手段がまったくなくなっても、捕虜となることを認めない思想、万策尽きた指揮官が部下の生命を守るために降伏という道を選ぶことを許さない方針が、どれだけ多くの日本軍人の生命を無駄な犠牲にしたかわからない。どんな状況の下でも捕虜を許さず、降伏を認めないという日本軍の考え方が、大量の餓死と玉砕の原因となったのである。(抜粋)
関連図書:大岡昇平(著)『レイテ戦記』(全4巻)中央公論新社(中公文庫)2018年
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