「精神の高揚と墜落」(その1)
坂口哲啓『書簡で読み解く ゴッホ』より

Reading Journal 2nd

『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第5章  精神の高揚と墜落――アルル・サン=レミ(その1)

パリを離れゴッホはアルルに到着した。第5章は、アルルとサン=レミでのゴッホを追っている。ゴッホの絵画はアルルでまた飛躍するが、その生活は孤独なものだった。そこにゴーガンがやってくる。しかし、ゴッホの過度の期待に対してゴーガンは冷めていた。二人の絵画理論も異なり、結局ゴッホは発作的に耳を切ってしまう。そして、その後は、発作と戦いながらも絵を追求する。


一八八八年、ゴッホはアルルに到着した。ゴッホが南仏のアルルとい町を選んだかについては、幾つも説がある。南仏に憧れの日本を思い描いたという説、パリで悪化した健康を治そうとしたという説、弟との共同生活が難しくなったという説など様々な説がある中、著者は、

どれも多かれ少なかれ当たっていると思うが、特に健康面については、アルルに来た当座はかなり深刻な状態にあったようだ。(抜粋)

といっている。

ゴッホは、パリでの多量の飲酒と喫煙で健康面がかなりひどい状態になっていて制作も思うようにできなくなっていた。また、北の人であるゴッホには、南に対する憧れも強くあった。そして、南仏はパリで見つけた新しい表現方法、<強烈な色彩とタッチの効果>の可能性を発揮できる場所でもあった。

ゴッホのアルルで、絵の面では大きな飛躍をしたが、人間関係では様々なトラブルに見舞われ孤独な生活を余儀なくされた。

その孤独な生活の中でゴッホは、画家である自分が普通の人々がしている「本当の人間らしい生活」をしていないと感じるようになった。そして、この心境の変化について著者は次のようにいっている。

フィンセントは、アルルに来て、画家という自分の立場を突き放してみるようになったと思う。これまで感じていた画家としての優越感、他人とは違うという一種のエリート意識のようなものがなくなった、あるいは、そういった感情を越えることができたように感じる。(抜粋)

次にアルルでのゴッホの絵について多くの図版を使って解説をしている。まず、ゴッホの太陽と麦畑の絵について、

太陽が明確に描き込まれた作品は、そのほとんどが麦畑を描いた作品なのだ。フィンセントにとって麦畑と太陽は深く結びついている物なのだ。(抜粋)

と解説する。太陽は、永遠の命の象徴であり、そしてこの強烈な太陽のもとで成長する麦は、いずれ刈り取られ人間の食料となる。ゴッホの中でこの麦と人間が一体化していると著者はいっている。

畑にまかれた種はやがて芽を出し、太陽の光を浴びて成育し豊かに実り、そして刈り取られる。刈り取られた麦は命を終えるが、それは粉に挽かれパンとなり、人々の命をつなぐ。その麦と人間の一生が同じだとすれば、この世に生を受け成長し、やがて老いて死ぬ運命にある人間も、何らかの形で自らの命を受け渡してくのだろう。(抜粋)

次に強烈な太陽の光と反対にゴッホが描いた夜の光の絵について著者は解説している。まず、『夜のカフェ』の図版を示す。この絵が「人間の恐ろしい情熱」を表現しようとしたと手紙に書いているが、そのカフェの光が人間を誘惑に導く光であると解説する。

しかし、夜の光でも『ローヌ川の星月夜』という絵は、静かな光をなっていると解説する。

フィンセントは、この作品によって、永遠の生命の象徴とて太陽の光とはまったく異なる、静けさと安らぎと魂の浄化につながる崇高な光として星の輝きを、詩情豊な音楽性に富む画面として描ききった。(抜粋)

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