キリスト教、儒教などの諸思想との交流 — 見えざる世界(その2)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第十四章 見えざる世界 日本仏教の深層4(末木 文美士) (その2)

今日のところは、「第十四章 見えざる世界」の“その2”である。“その1”では、仏教の「顕と冥の世界観、歴史観」を取り扱った。

今日のところ“その2”では、仏教とキリスト教や儒教との交流に焦点をあて、それらの思想と仏教の立場について考察する。それでは読み始めよう。

2.諸思想との交流

キリスト教と仏教

日本のキリスト教の歴史は、一五四九年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルの上陸により始まった。そして、一七世紀にキリスト教が禁止されるまでに三〇万~四〇万が信者となり一大勢力となった。

これまで神仏しか知らなかった日本人にとって一神教の理解は困難であった。イエズス会の会士は、仏教的な常識から発する日本人の疑問に答えねばならず、比較仏教的な観点が養われた。

最も注目されるのが不干斎ふかんさいビリアン妙貞問答みょうていもんどうである。『妙貞問答』では、上巻で仏教を批判し、中巻で儒教と神道を批判したうえで、下巻でキリスト教の教えを説いている。

その際、「現是安穏げんぜあんのん後生善所ごしょうぜんしょ」」という民衆の間に定着した仏教的な希求を手掛かりとして、仏教などではその願いを満たすことができず、キリスト教のみがその願いを真実に実現する教えだという構成になっている。(抜粋)

ビリアンは仏教では、結局すべてが「無」に帰するのであり、浄土もその例外ではないというのに対して、キリスト教のデウスは実在するので、楽園であるハライ(天国)も無になることはないと言った。ここで著者は、仏教は確かに「空」を説きあらゆるものの実在を否定するが、「空」を直ちに「無」と考えるのは不適切であると指摘している。しかし、キリスト教では、仏教の「空」を「無」ととらえ「有」と対比して捉えている。キリスト教の立場からすると「無」を主張することは、虚無主義(ニヒリズム)であり、悪魔の主張であるとされる。

この後、キリスト教が禁教となり、このキリスト教対仏教の論争は十分な展開を見ることが無く終わった。

ハビアンもまた破提宇子はでうすというキリスト教批判を書いている。この棄教は、弾圧のためでなく、修道会への不満から尼僧と駆け落ちしたためである。

キリスト教禁教後も、キリスト教の影響を消すために、鈴木正三すずきしょうさん『破切支丹』雪窓宗崔せっそうそうさい対治邪執論たいじじゃすうろんなどが書かれたが、一方的な批判のみで、有効な議論とならなかった。

仏教と儒教

近世では、仏教が衰退し儒教の時代になると考えられていた。しかし、今日ではむしろ仏教が大きな役割を果たしてきたことが知られている。

中世においては、仏教が中核的な思想であり、神道にしても仏教をもとに展開していた。しかし近世になると、キリスト教、儒教、国学、神道、心学、民衆信仰などの様々な宗教が展開し、仏教もその中の論争に投げ込まれた。しかし、寺壇制度により全国津々浦々までに広がった仏教の影響力は大きかった。

仏教と儒教の関係に関しては、儒教側からの仏教批判が多い。ここで著者は、仏教と儒教が相互に論争を交わした例として、林羅山はやしらざん松永貞徳まつながていとく『儒仏問答』を挙げている。

林羅山は、仏教を学んだあと朱子学に傾倒した儒者であり、松永貞徳は、俳人であり日蓮宗不受不施派の熱心な信者だった。この中で林羅山はが「理」による世界の転変を説き、松永貞徳は、「理」では捉えきれない、現世を越えたものの存在を説き、三世の因果を主張した。

この「三世の因果」は、現世だけでなく前世や来世という見えざる世界にこだわる。そして、それによって現世の道徳を成り立たせるという意味合いがある。
中世における不可知の「冥」ではなく、三世が因果関係によって結ばれるという一種合理的、機械的な法則性が重視されるようになっている。(抜粋)

また、近世初期の仏教思想家、鈴木正三はさまざまな因果の話を集めて『因果物語』を著した。

見えざる世界の復権

儒教では、「鬼神」の問題が大きく取り上げられるようになり、朱子学でも重要な問題となった。「鬼神」とは、死者の霊魂やさまざまな神々のことで、儒教的合理主義では認められないが、一方、儒教の根本は祖先祭祀にあるので、鬼神を全面的に否定することはできない。

新井白石あらいはくせきは、『鬼神論』を著し、仏教的な林衛説は否定するものの、強い魂は死後も働きを示すとして、祖先祭儀の可能性を認めた。一方、合理主義的な町人学者である山片蟠桃やまがたばんとうは、徹底した唯物論の立場を取り、鬼神の存在を否定した。

このように、死後のあり方に関して様々な説が立てられ混乱が生じ、何を信じて良いかわからない状況に陥ってしまう。

そのような中で、国学医者や神道家の間で、儒でも仏でもない、日本人の死生観を明らかにしようという動きが生まれる。本居宣長は、死後に魂は「よみの国」に行くとした。「よみの国」は、「きたなくあしき所」とされ、死は望ましくないこととされた。しかし、平田篤胤は、鬼神新論きしんしんろんにより儒者の霊魂消滅説を論駁し、霊魂の存在を認め、霊能真柱たまのみはしらを著した。それによると、死後霊魂はこの世を離れるのではなく、この世に留まる、しかし、生者からは見えない。より伝えられた。そして、霊魂は霊廟や墓地に集まるとした。

このように、一旦は近世の合理主義的傾向の中で否定的に見られるようになった死後の問題が、幕末近くになって再びクローズアップされることになる。それが明治維新の原動力となり、近代の神道の出発点になるのである。歴史は単純に合理化や世俗化に進んでゆくわけではない。見えざるものの世界をもう一度考え直してみる必要がある。(抜粋)

ここで鬼神の話が出てくるが、井波 律子の『論語入門』によると孔子は鬼神を否定していたようである(ココを参照)。


関連図書:井波律子(著)『論語入門』、岩波書店(岩波新書)、2012年

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