近代日本の祭政教関係の制度化 — 廃仏毀釈からの出発(その3)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

Reading Journal 2nd

『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第七章 廃仏毀釈からの出発 近代の仏教1(大谷栄一) (その3)

今日のところは、「第七章 廃仏毀釈からの出発」“その3”である。“その2”において、明治政府の神道国教化政策により仏教が公的立場を失いダメージを受けたこと。しかしは、明治政府の「祭政一致」、神道国教化の政策と廃仏毀釈などによる仏教のダメージ、そしてその後、神道国教化政策の行き詰まりから、教導職という失地回復の足がかりをつかむまでがと取り扱われた。今日のところ“その3”では、明治政府の仏教冷遇の政策に異を唱えた真宗勢力の働きを中心に、祭政教関係の制度化の変遷を追っている。それでは読み始めよう。

3.近代日本の祭政教関係の制度化

宗教政策対する真宗の影響

明治政府による神道優遇、仏教冷遇の宗教政策に対して果敢に批判したのが、真宗勢力だった。(抜粋)

真宗本願寺派(現在の浄土真宗本願寺派)の島地黙雷しまちもくらい大洲鉄然おおずてつねん赤松連城あかまつれんじょうらは、教導職制と大教院体制による神仏合同教化政策(ココ参照)を厳しく批判する。

島地が提出した「三条教則批判建白書」には、三条教則ココ参照)の「敬神愛国」の「敬神」は「教」、「愛国」は「政」であり、その「混淆」を批判し、政教分離を説いた。

この背景には島地ら本願寺派関係者のヨーロッパ視察がある。視察を通して島地は西洋文明の基底にはキリスト教があり、それに対抗できるのは仏教で、とくに一神教に近い真宗であると考えた。また、西洋近代のキリスト教的なreligion概念も受容している(ココ参照)。

島地はヨーロッパへの視察を通じて、西洋近代の「宗教」概念や政教関係を学び、それを梃に、日本で政教分離や(個人の内面的は信仰を重視する)信教の自由を説いた。(抜粋)

政教分離を説く一方、「政教相依」、つまり宗教(仏教)が人を導き、政治に裨益ひえきすること、も説いている。この政教分離・政教相依が島地の政教論の特徴である。

島地は、神仏分離が明治維新の際の詔裁だったにもかかわらず、それが混淆されているとして、教部省、大教院体制を批判し、信教の自由を説きながら教部省の廃止を主張した。

このような真宗勢力の活動により、大教院が廃止されるとともに、教部省より「信教自由保障の口達」が出される。その後、教部省も廃止される。

教導職制の廃止

大教院、教部省が廃止されても教導職は存続していた。しかし教導職制も正教を混淆したものとして、島地をはじめとして仏教界全体が廃止を求めた。そして太政官布達により教導職も廃止となる。

その後、帝国憲法に「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨[さまた]ケス及臣民タルニ義務ニそむカサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定され政教分離が画定された。

近代仏教のプレゼンス

最後に、明治初期から二〇年代までの政教関係を整理し、近代日本における仏教の基本的立場と役割を確認することにしよう。(抜粋)

明治政府は、当初、神祇官と宣教師による祭政教一致の神道国教化政策を進めた。しかし、神道国教化政策は行き詰まり、教導職の廃止により祭教分離が確立する。そして「信教の自由の保障の口達」と明治憲法の規定により、政教分離が制定された。

そのため、祭政一致、祭教分離、政教分離というのが近代日本の祭政教関係の制度となる。しかし国家は、仏教が国を裨益することを求め、島地の政教分離・政教相依論のように、仏教界もそれに応じている。仏教界は仏教の公認教制という立場を求めたがそれは実現できなかった

しかし、仏教界が近代国家体制と没交渉と言うことではなく、江戸時代のような行政機関としての役割はなくなったが、寺壇制度が家父長制的な家族制度と結びつき、近代天皇制国家を下支えした。葬式仏教の近代的形態というべき立場であった(第十二章参照)。

近代の仏教は近世の仏教のように公的な立場を永続的には得ることができなかったものの、近世と同じく、公的な役割を引き受け、一定のプレゼンス(存在感)を示したのである。(抜粋)

ここで活躍している島地黙雷しまちもくらいは、北川前肇の『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』にも出てきた。宮沢賢治が初めて読んだ『法華経』(赤い法華経)の本が、浄土真宗の島地大等しまじだいとう編輯へんしゅうした本である(ココ参照)のだが、その大等は黙雷の後継者(法嗣)であるんだ。

また、大等が作った「赤い法華経」の本も明治期の仏教改革の一環なのだと思う(ココ参照)。

でも、賢治自身は、真宗から日蓮宗に改宗しちゃたんだけどもね。(つくジー)

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