『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代
4 竹取物語ーー成長するかぐや姫
今日から平安時代に入る。平安時代の特徴(プロローグ)は、絢爛豪華な貴族社会のなか、愛、悩み、苦しむ心の襞を表現した内省的な作品が多く出てくるとのことである。今日のところは、まずは『竹取物語』。では読み始めよう。
『竹取物語』は、『源氏物語』に「物語の出で来はじめの親」と書かれているように平安時代にはすでに親しまれていた。『竹取物語』には「青反吐」「糞」「大盗人」「まり置ける(=排泄した)」「さが尻(=そいつの尻)」「かなぐる(=手荒くひきむしる)」などの荒らしい粗野な言葉が随所に出てくる。このような言葉が使われているため著者は、作者は不明としながら、男の人であるとしている。また、当時は男性しか使っていなかった漢文を訓読する時のみ使用することば(「いはく」「いはんや」「しかるに」「そおそも」「なんぢ」など)を使用していることは、作者が男性であることのもう一つの証拠としている。そしてかぐや姫が求婚者に求める難題は『大唐西域記』『南山住持感応伝』『水経注』『列子』『荘子』などの仏典や漢学を読んでいないと思いつかないものばかりであるため、教養のある男性であるとしている。
さて、本章のテーマは「成長するかぐや姫」となっている。著者は、かぐや姫の成長をその言葉遣いによって解き明かそうとしている。
著者はかぐや姫の言葉遣いは、女性らしいものではなく、漢文を訓読したような固い言葉遣いであることを指摘している。
たとえば、求婚者の一人ある車持の皇子に、かぐや姫は「蓬莱の玉の枝」を取ってくれば、結婚すると言い渡す。その木の様子をかぐや姫はこう説明する、「銀を根とし、金を茎とし、白き玉を実として立てる木あり」。なんだか理屈っぽい言い方ですね。(抜粋)
「―とし、―とし、―として」という言い回しは漢文を訓読する時の表現である(築地裕『平安時代の漢文訓読語についての研究』)。
さらに著者は、かぐや姫が、地上滞在の延長願いが許されず嘆いている理由をおじいさんに話すことば、
「さらに許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆きはべる」(抜粋)
の「によりて」は漢文を訓読する時に特有の言い回しであると指摘している。
著者は『竹取物語』の作者が男性であるため、自然に男が話すような口調になったとしている。そして、それがあまり不自然に感じないのは、かぐや姫が人間界の女性でないという前提に助けられているからであるといっている。
ここから、求婚者たちの難題とかぐや姫の反応の話に移る。著者はその反応の変化にかぐや姫の成長を見ている。
かぐや姫は求婚者たちに下記の物を持ってくるという難題を出す。
- 石作の皇子:「仏の御石の鉢」
- 車持の皇子:「蓬萊の玉の枝」
- 右大臣阿部御主人:「火鼠の皮衣」
- 大納言大伴御行:「五色に光る玉」
- 中納言石上麿足:「子安貝」
そして、石作の皇子①、車持の皇子②、阿部の右大臣③が持ってきたものは、偽物であった。
著者はこの3人へのかぐや姫の反応が印象的であるという。順に
「かぐや姫、返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ」という無視の態度(抜粋)
「笑ひさかえて(=声を立てて盛んに笑って)」(抜粋)
「あな、嬉し」とよろこびてゐたり(=「ああ、うれしい」と喜んで座っている)(抜粋)
という、自滅を無視したり喜こんだりしている。そして④の大伴の大納言は、「光る玉」を探してひどい目に遭いかぐや姫を非難してかぐや姫の前に姿を現さなかった。
しかし、⑤の石上の中納言が大怪我を負ったという知らせを受けたとき、
「とぶらひにやる歌(=お見舞いに送る歌)」を書いている。(抜粋)
そして、その怪我がもとで中納言が死んでしまったという知らせを聞いて、
「すこしあはれとおぼしけり(=少し気の毒と思いになった)」。心の痛みをわずかに感じる人物に変身しています。(抜粋)
そして五人の求婚者が脱落した後、最後の求婚者として帝が現れる。しかしかぐや姫は帝の命令にも応じない。
「国王の仰せごとをそむかば、はや、殺したまひてよかし(=国王のご命令に背いているというなら、早く私を殺してください)」と強い言葉で抗議する。(抜粋)
そして、帝がやってきて実力行使でかぐや姫を連れ去ろうとすると、消え失せてしまう。しかし、
帝が諦めて帰った後は、かぐや姫は「さすがに憎からず聞こえかはしたまいて(=お召しに応じなかったものの、帝からの手紙へのご返事はさすがに情を込めてやりとりなさって)」。かぐや姫は、常識をわきまえた人間的振る舞いをしています。(抜粋)
そして、最後におじいさんに月に帰ることを打ち明ける。かぐや姫はおじいさんの嘆き悲しむ姿を見て、
「御心惑ひぬ(=心が乱れた)」。(抜粋)
そしておじいさんへの手紙には、
「おじいさんを見捨てて月の世界にかえるのは 、空から落ちてしまいそうに悲しい気持ちがする。と書き記している。(抜粋)
著者は、このようにかぐや姫の言動から、かぐや姫が人間の世界で徐々に成長し、最後には繊細な感情を持つまでになるまでを追っている。
そして最後に著者は、このかぐや姫が実は月の世界の罪人であったというトピックスを紹介している。
かぐや姫自身は、
「昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける(=前世の宿縁によって、この人間界にやってまいりましたのです)」(抜粋)
と言っているが、月からの使者は、次のように言っている。
「かぐや姫は罪をつくり給へりければ(=かぐや姫は天上で罪をおかしなさったので)」人間界に下された。でも、今は、「罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふる(=罪の期限が終わったので、このように迎える)」と。(抜粋)
『竹取物語』というと川端康成の現代語訳で読んだことがある。その時は、名訳に「さすがにノーベル賞作家はちがうね♪」って思ったのだが、ここの解説を読んで、言葉の専門家は、そういう読み方をするのか!なるほどなるほど、と思いました。
それから、おじいさんの手紙の「空から落ちてしまいそうに悲しい」って表現は、今でも言いそうですょね。全然変わってないよね。
関連図書:
築地 裕(著)『平安時代の漢文訓読語についての研究』東京大学出版会、1963年
川端康成(訳)『現代語訳 竹取物語』、河出書房新社(河出文庫)、2013年
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