『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
I 言葉に霊力が宿るーーー奈良時代 2 日本書紀ーーリアルな歴史叙述
奈良時代の2つ目は『日本書紀』である。前回が『古事記』なので、先ずは順当化かと!
著者が言うには、『日本書紀』というと対外的に国家の威信を示すため書かれた漢文体の無味乾燥な歴史書、と思われがちである。しかし、『日本書紀』には、実に生々しく具体的でリアルな場面描写がある。
その代表が今回取り上げる「大化の改新」時の場面であり、つまり今回のテーマは「リアルな歴史叙述」は、どうして生まれたか、ということのようである。
『日本書紀』
『日本書紀』は、全部で三○巻あり、「神代」から第四一第持統天皇までの歴史を扱う。少し前にできた『古事記』が第三三代推古天皇までに記述であるので、『日本書紀』の方が、八代後の天皇まで扱っている。
ここで取り上げるのは第三五代皇極天皇の時代であるため『古事記』には、記載されていない部分である。
『日本書紀』の文体は、『古事記』と違い、中国人でも読める純粋な漢文で書かれている。そして、中国人により書かれた部分と、中国語に精通した日本人によって書かれた部分の二層構造になっている(森博達『日本書紀の謎を解く』)。
そして、この章で取り上げる大化の改新の記された部分(二四巻)は、中国人によって記された部分であるが、妙に具体的で生々しい。
大化の改新
ここから話が始まるのだが、最初は蘇我入鹿を打ち取るために中臣鎌子連(=中臣鎌足)が、中大兄皇子と出会って・・・みたいなことが書かれているが、このあたりは、それなりに有名な話なので、著者がいう「具体的で生々しい」記述ところまで飛ばす。
つまり、上の二人に加え蘇我倉山田麻呂、佐伯連子麻呂、そして葛城稚犬養連網田の五人で、蘇我入鹿を討ち取るところから始める。
皇極四年(六四五)六月八日、皇極天皇が大極殿にお出ましになる。
入鹿も参内する。ここれ鎌足は、俳優(=神前で芸をするひと)を使って、入鹿の件をはずさせる。
入鹿は「咲ひて剣を解き(=笑って件をはずし)」、座につきた。(抜粋)
ここで手筈どおりに、山田麻呂が上奏分を読み上げ、中大兄は、門を封鎖し長槍を取って大極殿のそばに隠れる。鎌足たちは弓矢を持って中大兄を守護する。そして、子麻呂と網田に剣を持たせて、不意をついて斬れと命じた。しかし子麻呂らは、恐怖のあまり飯が喉をとおらない。
「水を以ちて送飯き、恐りて反吐ひつ(=水で飯を流し込んだけれど、恐怖のため嘔吐した)」(抜粋)
鎌足は、反吐をはく子麻呂たちを励ます。
山田麻呂は上奏文を読み終わろうとしているのに子麻呂たちが来ないので不安になる。
「流汗身に沃ひて、声乱れ手動く(=全身汗みどろになり、声は乱れ手が震えている)」(抜粋)
ここで入鹿が不審に思い山田麻呂に尋ねる。
「何の故にか掉ひ戦く(=なぜ震えているのだ?)」(抜粋)
山田麻呂は次のように言い訳をする。
「天皇に近くはべることを恐、不覚にも汗流づる(=天皇のおそばに近いことが恐れ多く、不覚にも汗が流れたのです)」(抜粋)
子麻呂らがどうしても行動に出られないので、中大兄は「咄嗟」といって子麻呂らとともに入鹿の不意をついて斬りつけた。
その後、天皇が殿中に帰られたあと、子麻呂らは、入鹿の息の根を止める。
「是の日に、雨下て潦水庭に溢めり。席・障子を以ちて鞍作が屍に覆ふ(=この日は雨が降り、溢れた水で庭は水浸しになった。敷物や屏風で鞍作の屍を覆った)」(抜粋)
その後、入鹿の父、蝦夷は自害し大化の改新が断行される。
著者のいうようにこの部分は、実に「具体的で生々しい」。ここで著者は、このようなリアルな記述は「現場に居合わせない限り」知り得ないと指摘する。つまりこの部分は最終的には中国人が記したとしても、背後には暗殺現場に居合わせた人物が記した記録の存在が考えられるとしている。
『日本書紀』の編集総裁は、舎人親王。彼は天智天皇の孫。大化の改新の話を耳にするチャンスはあり、記録にとどめることもできる。真相を具体的に記した資料を基にしたからこそ、これほどまでにリアリティに富んだ叙述となったのではあるまいか。『日本書紀』は、読んでいると、かぎりなく記述の背後を探りたくなる歴史書なのです。(抜粋)
関連図書:
森博達(著)『日本書紀の謎を解く - 述作者は誰か』 中央公論新社(中公新書)1999年
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