「ほんたうのたべもの」としての童話(その2)
北川前肇 『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』 より

Reading Journal 2nd

『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』 北川前肇 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3回 「ほんたうのたべもの」としての童話(その2)

今日のところは、第3回“「ほんとうのたべもの」としての童話”のその2である。その1では、『注文の多い料理店』の序文を通して、賢治の童話の背景にある「しょほうじっそう」の思想について解説されていた。そして今日のところ、その2で「どんぐりと山猫」を読みながら、「諸法実相」さんそうもくたとえ」などの法華経の影響を見る。


ここから著者は、宮沢賢治の童話の世界を、童話集『注文の多い料理店』に収録されている「どんぐりと山猫」から読み解いていく。

「どんぐりと山猫」のメッセージ

話は、金田一郎という少年が、裁判長の山猫から森の裁判に呼ばれることから始まる。一郎が裁判に行くと、三百ものどんぐりがあつまり「誰が一番えらいか」についての裁判が開かれていた。どんぐりたちは、お互いに「自分が偉い」と主張している。ここで山猫が一郎にどうしたらいいでしょうかとアドバイスを求めた。一郎は、

「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくはお説教できいたんです。」(抜粋)

そして一番ばかなやつが一番偉いと、山猫が判決を下すと、どんぐりたちは「しいん」と静まり返ってしまった。

ここで著者は、この「どんぐりと山猫」のメッセージは、「差別」することの愚かさである、といっている。

分別、差別と「どんぐりと山猫」

仏教では、あらゆる物事を区別することを「ぶんべつ」「しゃべつ」といい、「どちらが優れているか」「善か悪か」「有か無」かという相対的な見方をする時に、どちらか一方への「固執」「とらわれ」が生れ「差別」を生み出すと考える。
そして、その相対的な見方のうち、自分と「自分以外のもの」を二分する見方を「分別」と呼ぶ。私たちは、自分と自分以外のものは明確に分かれていると認識しているが、それは私たちの心が区別しているだけで、絶対的な見方、仏の目から見れば自分と他者に差は無い。それがしゃべつ・無分別の仏の認識の世界である。

法華経は、「一念三千」という根本思想に立脚している。それは私たちの一瞬の心の中に、全宇宙の事象が含まれる、つまり全宇宙の事象と私たちの心が等しいという思想である。その世界には分別や差別はない

そのような法華経の世界の「真実なるもの」を、賢治は「どんぐりと山猫」を通して伝えたかったのではないでしょうか。(抜粋)

また、著者は、この作品のもう一つの背景として、父・政次郎が調停委員として多くの係争問題に対応していたということがあると、指摘している。

「三草二木の譬え」と擬人化

賢治の童話には、山猫などの動物、どんぐりや栗の実などの植物、さらには電信柱まで「擬人化」されている。著者はこれも賢治の童話が、差別も分別もない法華経の世界が土台になっているからだとしている。

法華経の「やくそうほん第五」に「三草二木の譬え」といわれる文章がある。この文章は、

三千大千世界という、広大な真理の宇宙に生きるすべてのいのちが、仏の慈悲を平等に受けていることを示しています。(抜粋)

しかし、本質的に平等であるが、小さい草もあれば、中くらいの花もあり、大きな樹もあるように、それぞれに「個性」がある。つまり「平等」であることは「同じ」ことではなく、大きな樹にも、小さな草にも仏は等しくを注がれるという意味である

私たちも同じです。別の人格にならなくてもいい。自分は自分、あなたはあなたのままでいい。どんな色や形や大きさであっても、仏の目から見れば、皆等しく尊い。これが「諸法実相」の意味するところです。(抜粋)

賢治は、この「三草二木の譬え」のように、小さな花や大きな木、そこに暮らす小鳥や獣も等しく自分と同じ命であると感じていた。そのような感性がこのような擬人化として表れていると著者は指摘している。

「いちばんばか」は「いちばんえらい」ということ

「どんぐりと山猫」で一郎が山猫にいったアドバイス、「いちばんばか」が「いちばんえらい」という言葉には、じょうしんしゅうの影響を感じると著者は指摘している。
浄土真宗の開祖・しんらんは、自分を「禿とく親鸞」と称し『愚禿抄』を著している。また、日蓮も、釈迦を最も尊い存在と仰ぐとき、自分を「愚者」としている。

著者は、学歴や地位、財力などの相対的なすぐに変わってしまう価値観で判断するようでは、自分の生き方があやふやになってしまう、と指摘した後、次のように言っている。

「いちばんばか」が「いちばんえらい」という言葉は、仏の目から見る真実なるもの、絶対的な価値を私たちに教えてくれています。(抜粋)

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