『憲法とは何か』 長谷部 恭男 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 新しい権力分立?(その2)
今日のところは、「第4章 新しい権力分立?」の“その2”である。“その1”において、アッカーマンの「新しい権力分立」論が紹介された。今日のところ“その2”では、その「新しい権力分立」論を踏まえて日本の「首相公選論」について考察する。それでは、読み始めよう。
首相公選論の問題点
ここで著者は、アッカーマンの「新しい権力分立」を踏まえて、日本で高まった「首相公選論」の問題点を改めて明らかにしている。
首相を国民が直接公選で選ぶという議論がある。その理由として言われているのが、
- 首相が強力なリーダーシップを発揮できる
- 首相を国民が直接選ぶこと自体に意味がある
というようなことである。
しかし、国際的に活躍する政治学者のジョヴァンニ・サントーリ氏は、首相の公選によってリーダーシップが強くなる、ということは期待薄であると言っている。
首相公選制は軍隊を用意しないで指揮官だけを選ぶようなものである。(抜粋)
日本国憲法では、首相は国会の指名によって決まることになっている。そのため、政党の主要な役割は、首相候補を自分たちの中から選び、その人を首相にすべく、なるべく多くの議席を獲得して、選挙で競争することである。
しかし、政党の目的は、自分たちの目標とする政策を実現することあって、首相を自分たちの仲間から選び出すことは、その手段である。政党は社会のいろいろな課題や要求をくみ取り、実行可能な政策プログラムを国民に提示する。それを実行するために自分たちの仲間から首相を候補を出すのである。
そして一旦、自分たちの仲間から首相が選ばれれば、政党は、首相の提案する法案や予算案を議会で可決するよう協力する責務を負う。そして、多くの場合首相を選出した政党は、自分たちの支持する法案や予算案を可決することができる。
首相公選制は、政党が果たすこの二つの役割、つまり自分たちの中から首相候補を選びだし、そえを社会全体の課題や要求を集約した政策とワンセットで提示するという役割を分断し、機能不全におちいらせる恐れが強い。(抜粋)
イスラエルの首相公選制の失敗
ここで著者は、首相公選制を導入した場合にどのようなことが起こるかを説明している。
首相公選制を導入した場合、首相候補が自分の実現したい政策を訴え、そして多くの支持を得た人が首相となる。
しかし、政党は首相候補を提示する任務から解放されるため、政党の議席を最大にするために、有権者全体の利益よりも、セクショナル(部分的)な利益(労働団体、宗教結社、経営団体)を優先した政策をとる。その方が自分たちの票を固めることができるからである。そして有権者側も、国政の根本方針に関しては首相公選で選択を済ませたため、政党の選挙では自分たちの個別の利益を優先する。
そのため、首相公選で首相が生まれても、首相は自分の政策を支持する議会多数派を得ることができず、強力なリーダーシップは発揮できない。
実際に、一九九二年にイスラエルは首相公選制を導入したが、三度首相公選を実施しただけで、二〇〇一年に廃止している。この制度が当初の目的を達しえないことが明らかになったからである。
小選挙区と首相公選
上記のようにイスラエルでは、首相公選制はうまくいかなかった。しかし、イスラエルの選挙制度が比例代表制であるために、各政党がそれぞれのセクショナル(部分的)な利益を追求したという考えもある。
しかし著者は、選挙制度が小選挙区制となった場合には、さらに深刻な状態になると指摘している。
選挙区が小選挙区制の場合には、候補者は地元の利益に関心を寄せる傾向がある。しかし、小選挙区制を採用しているイギリスではそのような傾向が顕著でない。その理由は、全国規模の投票規律の硬い二党制が確立しているためであり、二党制は政策論争と首相の選択とが結びついているから成立している。
首相公選はこの結びつきを分断することになる。政党は、首相を選ぶという役割から解放さるため、各候補者は地元の利益の実現だけを考えるようになる。結局、公選制で選ばれた首相は、まとまりのない議会と対峙することになってしまう。
なるほど、小選挙区制でも首相公選制は機能しなさそうである。・・・・と、思ったが、「イギリスの例で説明されてもね」とも思った。日本の小選挙区制では、地元地元・・っていう人は多いような気もするが、それはどうなんだろう?あれくらいは、問題ないのか?・・・そのあたりが、引っかかるには引っかかるが、まぁ、結論は変わらんのでしょうね。(つくジー)
アメリカ型の純粋大統領制と議院内閣政
今までの議論より首相公選制を採用した場合は、堅固な議会多数派を崩壊させる蓋然性が高いことが分かった。
それでは、いっそ議会と行政権を厳格に分立する大統領制に政治体制を変えるという考え方もある。しかし著者はこれも賛成できないと言っている。
大統領制は、政府が外交、防衛、警察などの最小限の活動のみを行う国家ならば成立する可能性があるが、現代のように政府の活動範囲が社会のすみずみまで及ぶ社会では、国政をスムーズに行うのは至難である。そして、アッカーマンの指摘(ココ参照)のように様々な問題が起こる。
現在にいたるまで、大統領制をとりつつ安定した民主政冶を長期にわたって運用してきた国家は、若干の小国を除けば、ほぼアメリカ合衆国に限られるといっても過言ではない。(抜粋)
アメリカ合衆国では、制度自体の欠陥を補う、運用に関わる政治文化や成文化されていないで政治慣行などがある。大統領制に移行するのと同時にそのような政治慣行まで移植するのは、至難の業である。
フランス型の半大統領制と議院内閣制
さらに著者は、行政府の長を公選で選ぶやり方として、もう一つ残るフランスで採用されている半大統領制についても考察をしている。
フランスでは大統領は直接公選で選ばれる。そして大統領によって任命される内閣は議会に対して政治責任を負い、議会の不信任決議によってその地位を追われる。この制度は、大統領制と議院内閣制の中間形と言われることが多い。
この制度の場合、フランスの政治の運用を見ると、国政を実際に遂行するのは、議会多数派のリーダーである。それが大統領ならば、大統領は議会多数派の支持を梃子に、政策を遂行することができる。しかし、大統領の属する政党が少数派にとどまれば、議会多数派のリーダーが首相となり、大統領は実質的な政務からほとんど排除されてしまう。
結局のところは、議会の多数を掌握している政党ないし政党連合がいずれであるかが事を決する点では、議院内閣制とかわるところはない。(抜粋)
そのため著者は、大統領が直接公選であることだけで、大統領のリーダシップを確保することはできず、すでに議院内閣制をとっている日本が、憲法を改正してまで半大統領制に移行するメリットが果たしてあるか疑わしい、と言っている。
アッカーマンの「新しい権力分立」論からみた首相公選制
アッカーマンの新しい権力分立論からすると、議会メンバーとは独立に首相を選挙する首相公選制論は、アメリカ型にあたり最悪の政治体制となる。
ここでは、まずは、首相公選うんぬん、というよりも「フランスの制度ってそうなってたんだぁ~」みたいな、感想でした。ときおり、フランスのニュースなどで、ちょっと釈然としないこともありました。・・・・・ムムム、つくジー、知識なさすぎですね。(つくジー)
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