「畑を耕すように– エッテン、ハーグ、ヌエネン」(その1)
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

Reading Journal 2nd

『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

I 牧者への夢 —- 自画像以前の時代
2.畑を耕すように– エッテン、ハーグ、ヌエネン)(前半)

幾つもの変遷をへてゴッホは、画家を目指す。ここでは、その最初期のゴッホの人生とその絵画について書かれている。ここでも、細かい部分は『書簡で読み解く ゴッホ』に譲って、その絵画に関することを中心にまとめていこうと思う。


牧者への道を断念したヴィンセントが、絵を描くことによって果たそうとしたことは、貧しい人びと、炭坑夫や農民、職工や施設の老人たちへの共感を描くことだった。(抜粋)

聖書を熱心に読んだゴッホが絵に何を求めたかは、貧しい人びとと同じ地平に立ち彼らと連帯することであった。ゴッホはテオの経済的援助を受け、絵画の勉強を開始した。ゴッホは、まずミレーやジュール・ブルトンの複製を写したり、根気よく素描の練習から始めた。

ゴッホは絵を描いているうちに、そのキリスト教への考え方が大きく変わっている。

ヴィンセントが画家になろうと決意することは、既成のキリスト教世界が信奉する信仰と決別することであった。
それはしかし、信仰心を捨てたということではない。キリスト教会への失望が逆に、より純粋な、より真実な信仰に生きる道をみつけたい、という思いへ彼を駆り立てた。そういう信仰のありかをみつけるのに、そのときのヴィンセントには、絵画は---というより芸術が、最も有力だと思えた。芸術こそが、精神の求める最も純粋で高い頂上を極める最後の手段ではないか。(抜粋)

画商をしていたゴッホは、美術について豊富な知識を持っていた。そのため、まず素描、デッサンの勉強をする。鉛筆や木炭での絵をひたすら描きつづけ、絵の具を使い始めたときもまず水彩から始める。
ゴッホは、基礎が大事だと思い絵画教室にも通っている。しかし、すぐに教室の先生と衝突してしまった。
ゴッホは、既成の教会に反発し画家の道を選んだ。父を含めた「紳士がた」が指弾する自分の「不信心」にこそ本当の「信仰」があると信じて絵を描き続けた。しかし、その捨てたはずの夢は、ゴッホのここの奥に蟠っていたと著者はいっている。

たとえば、「教会」というイメージ。現実の教会には、もう二度と足を踏み入れたくない気持ちなのだが、絵を描くと、風景の遠景に教会を描き込んでいる。(抜粋)

著者は、このことを石炭袋を頭に載せて運んでいる坑夫の妻たちの絵[図5「石炭袋を運ぶ女たち」1882年11月、水彩、紙]の遠景に描かれている教会を通じてこのように解説している。

毎日毎日の無残な労働に疲れ切って歩く坑夫の妻たちから遠く隔たって立つ教会は、その絵のなかで二つの意味を帯びて霞んでいる。
一つは、「紳士がた」の説教する教会では、彼女たちは決して救われないだろう。教会は彼女たちを遠ざけ、彼女たちは教会に近づけない。そんな遠景でしかない教会。
もう一つは、いまは遠くに霞んでいる教会だが、いつの日か、彼女たちも、あの教会をその目で確かめ、その建物のなかへ温かく迎えられる日が来るに違いない。そんな、切実な願いを隠した教会。(抜粋)

そして、この絵のなかに描かれた「一本道」は、そのように暗示された教会への光である。

図5「石炭袋を運ぶ女たち」1882.11http://www.vggallery.com/watercolours/p_0994.htm
図5

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