現代アートで蘇る街 — Nantes(ナント)
池上 英洋 『フランス 26の街の物語』より

Reading Journal 2nd

『フランス 26の街の物語』 池上 英洋 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

Chapter 2 芸術の物語 / 現代アートで蘇る街 — Nantes(ナント) 

ナントはいったんは眠りについた街だった。それがいまや、フランスの若者から老夫婦にいたるまで、最も住みたい街に選ばれるようになった。いったいこの街で何が来ているのか----。(抜粋)

ナントの繁栄と衰退

ナントはロワール川が大西洋にそそぎ出る手前、五〇キロメートルのどの地点にある。ここはその昔は、まだ土砂の堆積もそれほどではなく河口ももっと上流にあり、それなりの船の積み下ろしが出来た。そのためガロ・ロマン時代から発展した。そして、中世期には人口一万五千人弱となり、ブルターニュ公国最大の都市として、貿易港が生み出す富を蓄えていた。そして一五三二年にはフランス王国の一部となっている。

ナントの地は、宗教戦争に終止符を打った「ナントの勅令」で有名である。この勅令により新教徒も旧教側と同時に信教の自由を保障された。

一七世紀には、一大貿易港として繁栄を迎えた。もともとワインや塩の貿易で栄えていたが、西欧列強の植民地獲得競争により、植民地貿易でさらに発展する。サトウキビ、繊維など植民地からもたらされる物品を扱うと共に、奴隷貿易にも加わった。そして一七世紀末には、ナントの港はル・アーヴルやボルドーなどのフランスの伝統的な港を押さえて、フランス一の貿易港となる。

しかし、一八世紀になると風向きが変わってしまう。ルイ一五世の時代にフランスは海外領土のほとんどを失ってしまう。大革命後は、奴隷売買が廃止され、ナポレオン戦争の間に、サトウキビに代わって、てんさいからも砂糖が作られるようになる。さらに決定的だったのは長年の土砂の堆積のため、川底が上がり、川幅が狭くなり、河口が後退してしまう。水深の浅くなったナントの港は、優位性を失ってしまう

石油が招いた炭鉱町の没落と同じような光景が、そのまま一九世紀以降のナントで見られた。(抜粋)

現代アートで甦るナント

しかしナントはここから見事な復活をとげるのである。(抜粋)

ナントの街は、20世紀になってから「アートの街」として蘇るのだが、その萌芽はすでに19世紀末に見出せる。ナントの企業LU(ルフェーヴル=ユティル)社は、自社のビスケットのパッケージに新進気鋭のデザイナーを起用し、万博に出品する際には多色刷りのポスターを使用するなど広告にデザインを積極的に使用した。同社のデザイン担当者には、アルフォンス・ミュシャもいる。さらに、大女優サラ・ベルナールも同社の宣伝キャンペーンに参加している。

美術への投資は広報活動の規模を超え企業メセナのはしりとなった。(抜粋)

同社の旧社屋の一部は現在アート複合施設「リュー・ユニーク」となっている。


ここで「メセナ」という言葉がでてきたが、この言葉は、今、同時に読んでいる『忙しい人のための美術館の歩き方』で初めて知った(ココ参照)。ちなみに「メセナ」は「芸術を庇護すること」という意味だそうですよ。(つくジー)


一九八九年に市長となったジャン=マルク・エローは、「文化への投資はその投資額に対して見返りが大きい」と判断する。そして現代アートをとりこむ政策を矢継ぎ早に打つ。そして、その政策は、二〇一四年に市長となったジョアンア・ローランに引き継がれた。

旧造船所を中心としたナント島の再開発は、大規模な都市デザインコンペを行った。その内容は、建物のデザインや配置のみならず、公共交通網、上下水道ネットワークの配備、商業地域、居住地域の区分けなど大規模なものである。これらのプランナーは、様々な分野の専門家からなり「マスターアーバニスト」と呼ばれた。(ヴァンソン藤井由実『フランスのウォーカブルシティ』

現在のナントの街は、歩くだけでも楽しい街である。この街出身の作家ジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』をテーマとしたメリーゴーランドや巨大な機械仕掛けの象の背中にのることもできる。また、居住区に行けばユニークなデザイン建物が並んでいる。


関連図書:
ヴァンソン藤井由実(著)『フランスのウォーカブルシティ』、学芸出版社、2023年
ジュール・ヴェルヌ(著の『海底二万マイル』、新潮社(新潮文庫)、2016年

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