[再掲載]「「語り」の人気者、張飛・趙雲」(三国史演義)
井波 律子『中国の五大小説』(上)より

Reading Journal 1st

(初出:2008-06-27)

「中国の五大小説」(上) 井波律子 著

『三国志演義』の巻ーーー興亡の歴史と物語の誕生 七 「語り」の人気者、張飛・趙雲 --- 長坂の戦い

諸葛亮を軍師に迎えて展望が開けそうな劉備に、また危機がやってくる。曹操が大軍を率いて荊州を目指して南下してきた。これにより劉備主従が必至の逃避行を行うが、これが演義屈指の見せ場の「長坂の戦い」である。
そのころ荊州の支配者、劉表が病死する。そして劉表の後妻の蔡夫人は長男の劉琦りゅうきを差し置いて、自分の産んだ劉琮りゅうそうを後継の座につけてしまう。劉表は死ぬ前に劉備を呼び、自分の息子を劉備に託したい、そして息子は無能だから荊州を自ら支配しなさい、と伝えた。
曹操の大軍を見て劉琮はあっさりと戦わずして降伏することを決定してしまう。ここで、諸葛亮は劉備に対して、このさい思い切って荊州を奪うべきだと意見をするが、劉備はそれでは死んだ劉表に顔向けできないと耳を貸そうとしない。そして迫りくる曹操軍をかわすために長江を渡って南下して江陵こうりょうをめざして必死に逃げることになる。
ここで注目されるのは、逃げる劉備一行に荊州北部の十万人以上の人がつき従ってきたことである。これは正史にも出てくる事実である。住民がつきそうと動きが遅くなるため、反対する諸葛亮などを劉備が見捨てるに忍びないとして押し切ったのである。しかし曹操軍はどんどん近づいてきて、部将たちはやはり住民を棄てて急ぐしかないと進言するが、

劉備は、「大事をおこなおうとする者は、必ず人間を基礎とする。今、人々は私を頼りにしているのだ。どうして見捨てられようか」と、涙ながらに言うばかり。(抜粋)

そしてやはり、曹操軍に追いつかれてしまう。たちまち曹操軍と劉備軍は住民を巻き込む乱戦になってしまう。ここが「長坂の戦い」である。
この戦いの中で目立っているのが、趙雲ちょううんの奮闘である。趙雲は関羽、張飛におくれて劉備の側近になるが、破壊力はあるが八方破れの関羽、張飛と一味違った安定感のある部将である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました