Reading Journal 2nd

「フィリピン戦での大量餓死」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

フィリピン戦は、最初で最後の対米戦だった。フィリピンが決戦場と決めた大本営が大兵力を投入したため、戦死者に加え、水死者そして大量の餓死者がでた。彼らはしだいに山中に追いやられ、極限の人肉食いにまで走ったという。『餓死した英霊たち』より 
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「ネガティブ・マインドの適応学」
坂本真士『ネガティブ・マインド』より

ネガティブ・マインドにも「進化」の過程で適応的な意味がある。生存を脅かす対象に備える、楽観的な見方を変えて再評価のきっかけになるなどのメリットがある。『ネガティブ・マインド : なぜ「うつ」になる、どう予防する』より 
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「畑を耕すように– エッテン、ハーグ、ヌエネン」(その1)
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

ゴッホは牧者の道を断念し、画家となった。熱心なキリスト教徒であったゴッホは、絵を描いているうちにその考えが変わっていく。そしてキリスト教と決別するが、信仰はむしろ強まっていった。『ゴッホ<自画像>紀行』より
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「孤島の置きざり部隊」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

アメリカ軍は島づたいに進軍を行った。上陸によって日本軍は次々と玉砕されてしまったが、制空権・制海権を握っているアメリカは、守備隊が置かれている島を飛び越えて前進することもあった。そのような島に取り残された日本軍には餓死が待っていた。『餓死した英霊たち』より 
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「機能型の自己注目に変える」(その2)
坂本真士『ネガティブ・マインド』より

ネガティブ志向に歪んだ認知を矯正するためには、他人の視点から自分の問題を考えること(メタ認知)が役立つ。また、人と接し「自己開示」することも役立つ。『ネガティブ・マインド : なぜ「うつ」になる、どう予防する』より 
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「「一本の道」 — 画家になるまで」
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

ゴッホは、グーピル協会の上司の娘にスケッチブックに書かれた小さな絵を送った。まだ画家になることなど夢にも思っていないゴッホが書いたこの「一本道」の絵は、ゴッホの生涯のモチーフとなった。『ゴッホ<自画像>紀行』より 
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「インパール作戦」(その2)
藤原彰『餓死した英霊たち』より

インパール作戦は、始まった。もともと補給を無視した作戦だったため攻撃は予定通りに進まず、最後には大本営も作戦の失敗を認めて中止命令を出す。しかし雨季にはいた密林での退却は悲惨を極め、だれとなくそれを「靖国街道」、「白骨街道」と呼んだ。『餓死した英霊たち』より 
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「機能型の自己注目に変える」(その1)
坂本真士『ネガティブ・マインド』より

機能不全的な自己注目を続けているとうつになる可能性がある。これを機能的な自己注目に変える必要がある。まず落ち込みやすい人の陥る「推論の誤り」にふれ、それを機能的な方向に変えるためには「メタ認知」を活用する。『ネガティブ・マインド : なぜ「うつ」になる、どう予防する』より 
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[読書日誌]『ゴッホ<自画像>紀行』
木下長宏 著 [全16回]

ゴッホの絵画をその自画像を追うことにより読み解く本。ゴッホの自画像を追うことにより、その作品の理解を深めることを追求する。また、風景や静物のなかに入り込んでいる自己と自画像とがどのような違いがあるのかを考える。『ゴッホ<自画像>紀行』より 
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「インパール作戦」(その1)
藤原彰『餓死した英霊たち』より

補給を無視した作戦としてインパール作戦が有名である。この作戦は牟田口廉也中将の功名心から実行された。反対論が多い中、何人もの参謀を罷免し、そして作戦を危険視する大本営も最後には人情論に押し切られた。『餓死した英霊たち』より