Reading Journal 2nd

天、人間、ゾウ — 『プリニウスの博物誌』 (後半)
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』 より

プリニウスの『博物誌』の中には、あらゆるもの記録が載せられているが、その中で幸福については、比較されていない。それは主観的なものであるからである。人類学が科学になるためには、そのような人文的なもの視野をはなれ、なければならない。:『なぜ古典を読むのか』より
Reading Journal 2nd

ヨブの立場と友人の立場(後半)
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

エリパズは、「私ならば、かかる不幸な時こそ一切を神に委ね、その力を信頼する」とヨブに言う。しかし、ヨブはそれを首肯できない。著者は、エリパズの言葉は信仰的に立派に見えるが、それが果たして真実だろうかと疑問を投げかける。:『ヨブ記 その今日への意義』より
Reading Journal 2nd

仏教思想の観点から — 日本仏教の可能性 まとめ (その1)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

「我」の発見から出発した近代は、「共生」が困難な時代である。しかし、今ほど「共生」が必要な時代はない。この「共生」の手がかりとして、著者は、和辻哲郎の「空の弁証法」や道元の『正法眼蔵』の「菩提薩埵四摂法」をもちいて考察する。:『日本仏教再入門』より
Reading Journal 2nd

病む兵士の心 — 身体から見た戦争(その3)
吉田 裕 『日本軍兵士』より

兵士たちには、軍人精神が求められ、入隊前から愛国教育が行われた。その仕上げが「刺突訓練」だった。そして、そのような訓練にもかかわらず、兵士たちに「戦場神経症」などの心の病が増大した。しかし、軍は正面から取り上げず、覚醒剤の使用に頼った。:『日本軍兵士』より
Reading Journal 2nd

ヨブの立場と友人の立場(前半)
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

友人の説得を聞いたヨブは混乱していた。友人は「神の前に正しくあり得ようか」という。ヨブ自身のそのように思える。しかし、ヨブと友人では、立場が役者と観客のように違い。ヨブには友人言葉は、心に実感として響いてこない。:『ヨブ記 その今日への意義』より
Reading Journal 2nd

近代の中の死者と仏教 — 見えざる世界(その3)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

社会が上昇傾向にある時は、死者の問題は大きな問題とならず、仏教もまた生きるためのものとされた。しかし、社会成長が止まった現代においては、もう一度死の問題を考える必要がある。ここでは、その先駆的思想家、田辺元と上原専禄が取り上げられる。:『日本仏教再入門』より
Reading Journal 1st

[再掲載]「捨て子は自殺を考える - 『吾輩は猫である』」
三浦 雅士『漱石』より

(初出;2008-10-17)の再掲載:「捨て子は自殺を考える - 『吾輩は猫である』」三浦 雅士『漱石』より
Reading Journal 2nd

[レビュー] 『陰翳礼讃・文章読本』
谷崎 潤一郎 著

谷崎潤一郎は『陰翳礼賛』で日本の美は、暗さとその陰翳にあるとした。それは、庇を張り出し鈍い光しか入らない座敷の美に始まり、漆器、そしてそれに盛られた料理の美、さらには金屏風や能衣装などの暗闇に光る美、すべてが暗闇と陰翳が関係している。:『陰翳礼讃・文章読本』より
Reading Journal 2nd

遅れる軍の対応 — 身体から見た戦争(その2)
吉田 裕 『日本軍兵士』より

戦争が激しくなるにつれて日本軍兵士の体格・体力が低下した。しかし、それに対する軍の対応は遅れ、現地自活の方針となる。それは、中国人民からの略奪を一層強化を意味した。その他、結核や知能障害者の排除、虫歯の問題などが書かれている:『日本軍兵士』より
Reading Journal 2nd

友人の説得(後半)
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

ここでは、必ずしも正しいものが勝つのではなく、しばしば不誠実なものが繁栄するという、人生の矛盾・不条理の問題を、「エレミヤ書」、詩編の「知恵の詩」から考える。またこの問題に対するアウグスティヌスの「刺繍のたとえ」にも触れている。:『ヨブ記 その今日への意義』より