Reading Journal 2nd

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相手の話に興味をもつ / 教えるより教えてもらう態度で
東山紘久 『プロカウンセラーの聞く技術』 より

カウンセラーは相手の話に尽きない興味を持つ。それは、話の内容ではなく、どうしてそのように感じるかに興味を持つのである。そして、「その人の心は、その人にしかわからない」ので、どのような話でも否定せずに興味を持って聞く。:『プロカウンセラーの聞く技術』より
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[レビュー]『新装版 ペルーからきた私の娘』
藤本和子 著

藤本和子のこのエッセーは、表題の『ペルーからきた私の娘』と他の二つの話からなる。どれもめったに起こらないような話だが、でも大事件が起こるというわけでもない。そしてそれが日常の延長として淡々と語れている。:『ペルーから来た私の娘』より
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漱石先生、猫見る会ぞなもし
田中 貴子 『猫の古典文学誌』 より

「吾輩は猫である」の猫のモデルは、漱石家に迷い込んだ黒猫である。しかし、漱石自身が猫好きであったかどうかについては、はっきりしていない。そのころ日本で初めての猫の品評会が上野精養軒であった。夏目漱石はその審査員として名を連ねている。:『猫の日本文学誌』より
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[読書日誌]『日本語のレトリック』
瀨戸賢一 著 [全18回]

レトリックとは、「言葉のちょっとした言い回し」で魅力的な、説得力のある、文学的な表現である。このレトリックは、基本的に人種や文化を越えて平等である。外国のレトリックにあるパタンはそのまま日本語にも使うことができる。:『日本語のレトリック』より
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質問には二種類ある / 情報以外の助言は無効
東山紘久 『プロカウンセラーの聞く技術』 より

質問には、客観的な質問と主観的な判断が必要な質問がある。このうち前者の質問には答えても良いし、助言も有効だが、後者の質問は、その答えは、人により異なるため本来なら答えられない。このような質問は重要だが答えられない質問である:『プロカウンセラーの聞く技術』より
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描かれた猫たち(後半)
田中 貴子 『猫の古典文学誌』 より

日本最古の招き猫は、普通「豪徳寺」のものとされているが、京都「壇王法林寺」(通称「だん王さん」)の招き猫の方が、少し古い。このだん王さんの招き猫は、「主夜神尊」という夜の神の使いのため、黒猫で、左手でなく右手を挙げている。:『猫の日本文学誌』より
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戦争や災害をどう伝えるか / あとがき
柳田邦男 『人生の一冊の絵本』より

前半では、戦争や災害、事故を経験した人々がこころにかかえこんでいるトラウマの問題をテーマにした絵本が三冊紹介されている。そして後半のあとがきでは、柳田邦男が提唱している「大人こそ絵本を」という言葉の思いが語られる。:『人生の一冊の絵本』より 
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他人のことはできない / 聞かれたことしか話さない
東山紘久 『プロカウンセラーの聞く技術』 より

親が子供にできることは、思春期以降はほとんどない。そのため当人が何も言わないのに口を出したり、反対に求めているのに何もしなかったりすることは、子供の成長の妨げになる。口を出さないようにするには、聞きモードになることである。:『プロカウンセラーの聞く技術』より
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描かれた猫たち(前半)
田中 貴子 『猫の古典文学誌』 より

「猫は仏敵だから涅槃図に描かない」という説があるが、実際に調べてみると涅槃図に猫が描かれている例は多い。しかし、この説があるため東福寺や清凉寺などの猫のいる涅槃図は、猫がいることを売り物にしていた。その他『十二類合戦絵巻』の猫について:『猫の日本文学誌』より
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言葉のない絵本のインパクト /  空襲、こころに刻まれるあのこの死
柳田邦男 『人生の一冊の絵本』より

前半では、柳田邦男が翻訳した、言葉のほとんどない絵本を2冊とそれに関係した絵本を1冊紹介している。そして、後半は、柳田邦男が戦争の残酷さ、不条理さを伝える児童文学として重要な作品としている『あのこ』を取り上げる。:『人生の一冊の絵本』より