つくジー

Reading Journal 2nd

国境はなぜあるのか(後半)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

「ある国家の権威は、どのような範囲まで及ぶべきか」=「国境はいかに引かれるべきか」という問題に対して、著者はジョゼフ・ラズを引き合いに出し、国境をいかに引くべきかについては、あらゆる場合に妥当する原理的な正解はないと答えている。:『憲法とは何か』より
Reading Journal 1st

[再掲載] 「~じゃないですか」は失礼じゃないですか
秋月高太郎 『ありえない日本語』より

(初出:2005-04-27 )の再掲載:「~じゃないですか」は失礼じゃないですか 秋月高太郎 『ありえない日本語』より
Reading Journal 2nd

クセノポン 『アナバシス』
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』より

今回は、クセノポンの『アナバシス』の紹介である。『アナバシス』は、戦場に取り残されたギリシア兵の帰還の物語である。クセノポンは、イナゴの大群と化した兵たちを率いこの難局を乗り越える。そして、著者は、そこに現代的な倫理観を見ている。:『なぜ古典を読むのか』より
Reading Journal 2nd

楽しむ孔子1 — 孔子の素顔(その6)
井波 律子 『論語入門』より

孔子はときに怒りを爆発させ、ときに悲観にくれるなど、激情をあらわに示すこともあったが、基本的には伸びやかな陽性のひとであり、生きることを楽しむ人であった。ここでは、そんな孔子がゆったりと楽しんでいる話が集められている。:『論語入門』より
Reading Journal 2nd

戒の変遷 — 日本仏教と戒律(その3)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

最澄により採用された大乗戒壇は、日本の仏教に大きく影響を与えた。戒を守るということよりも受戒の儀式に重点が置かれ、授戒の効力が期待された。それは、世俗から離脱する戒でなく、世俗のなかで活躍するための戒となった。:『日本仏教再入門』より
Reading Journal 2nd

国境はなぜあるのか(前半)
長谷部 恭男 『憲法とは何か』より

今までの議論は、世界に複数の国家が存在することが前提であった。では、「なぜ国家が複数存在するのか」=「なぜ国境は存在するのか」という問題がある。ここでは、その問題について、功利的議論と政治の問題としての議論が紹介されている。:『憲法とは何か』より
Reading Journal 2nd

辛辣な孔子 — 孔子の素顔(その5)
井波 律子 『論語入門』より

孔子は、基本的には明るくおおらかであったが、その一方、容認しがたいものには手厳しく、容赦なくその痛いところをついた。ここでは、そのような孔子の一面を捉えた条が集められている。:『論語入門』より
Reading Journal 2nd

大乗戒の採用 — 日本仏教と戒律(その2)
末木 文美士 『日本仏教再入門』より

戒律は、インドで比丘あるいは比丘尼が守るべき規則として生まれた。それが具足戒であり、日本にも伝わる。しかし、最澄は、大乗仏教での戒が必要と考え大乗仏教のの戒である梵網戒を用いるような受戒を創始する。それにより日本に大乗戒壇が生まれた。:『日本仏教再入門』より
Reading Journal 1st

[再掲載] かっこいいから「やばい」、おいしくて「やばい」
秋月高太郎 『ありえない日本語』より

(初出:2005-04-26)の再掲載:かっこいいから「やばい」、おいしくて「やばい」秋月高太郎 『ありえない日本語』より
Reading Journal 2nd

オデュッセイアのなかのオデュッセイア(後半)
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』より

オデュッセイアは、幾つもの話が混在している。それは、古代に遡る「より古い層」があるからである。そしてその「より古い層」は、オデュッセイアに魔女や怪物や人喰いたちとの戦いを可能とした。それが、オデュッセイアを現代的なものとしている。:『なぜ古典を読むのか』より