Reading Journal 2nd 風姿花伝ーー経験と情熱の能楽論山口 仲美 『日本語の古典』 より 『風姿花伝』は、単なる能楽書ではなく、人生の本質を突いた発言が随所に見られ、芸能論、教育論、人生論としても通用する。その魅力は言葉にも表れ、「幽玄」や「花」などは、独自の意味合いを持ち含蓄がある。その言葉には体験に裏打ちされた迫力がある。:『日本語の古典』より 2024.03.26 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 異質なものを結びつける / 自慢話は書かない辰濃和男 『文章のみがき方』 より 面白い文章を書く手段として、異質なものを結び付けることがある。また、自分がピエロになる。自分の欠点を情容赦なく書くことも良い効果を生み出す。ただし自分の欠点を書いているようで、実は自慢話になっているような話は、反感を買ってしまう: 『文章のみがき方』より 2024.03.25 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 理想郷「イーハトーブ」の創造(後半)北川前肇 『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』 より 花巻農学校を退職した賢治は、一人の農民として生きる。そして「羅須地人協会」を設立し農業だけでなく「農民芸術」の普及にも尽力する。それは、理想郷「イーハトーブ」を作る試みだった。しかし、激しい労働は健康を蝕み賢治は病に倒れる:『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』より 2024.03.24 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 太平記ーー「武者詞」の活躍山口 仲美 『日本語の古典』 より 『太平記』は、『平家物語』と同じ軍記物語である。しかし、より叙事性的になり。表記においては「武者詞」を多用している。太平記では、楠木正成がヒーローとなっている。ここでは、楠木の千早城の戦いを「武者詞」をキーワードにして追っている。:『日本語の古典』より 2024.03.23 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 正直に飾りげなく書く / 借りものでない言葉で書く辰濃和男 『文章のみがき方』 より 文章の修練を始めたばかりの人は、まず正直に飾り気なく書くことが大切である。さらにその中に深い「解釈」が必要となる。また、人の借り物の言葉でなく自分の言葉で書くことも大切である。そえは至難の業であるがその道を歩むしかない。: 『文章のみがき方』より 2024.03.22 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 理想郷「イーハトーブ」の創造(前半)北川前肇 『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』 より 宮沢賢治は、イーハトーブと呼ばれる理想郷を夢見ていた。そしてそれは農業を基本としながらも芸術も伴うようなものである。そのような考えは高等農林学校時代から花巻農学校の教師時代に培われ最終的には本統の農民となる。:『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』より 2024.03.21 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 徒然草ーー兼好法師は女嫌いか山口 仲美 『日本語の古典』 より 『徒然草』は、前半こそ女性に好意的な表現が見られるが、後半になるとガラッと変わって、女性に批判的な論調に変わる。このような兼好法師の論調の変化は、前半と後半では書かれた時期が10年も違っているということが関係している。:『日本語の古典』より 2024.03.20 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd 肩の力を抜く / 書きたいことを書く辰濃和男 『文章のみがき方』 より いい文章をかくためには、まず書くことである。そして、何でもいいから書き易いやり方で書くことが重要である。また、生きているうちには、心の奥底のものが恐ろしい勢いで湧き出してくることがある。そういう時は、書いて書いて書きまくる。: 『文章のみがき方』より 2024.03.19 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd あまねく「いのち」を見つめて(後半)北川前肇 『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』 より 法華経・日蓮宗では、死に対して嘆いたり悲しんだりすることを人との別れの本質と捉える。しかし、その根本に「南無妙法蓮華経」という七文字が無くてはならないとする。そして、生者と死者をつなぐもの「南無妙法蓮華経」である。:『宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる』より 2024.03.18 Reading Journal 2nd
Reading Journal 2nd とはずがたりーー愛欲に生きた人山口 仲美 『日本語の古典』 より 『とはずがたり』は、その内容から長い間存在が知られていない物語であった。作者の二条は後草深院の後宮に入りながら、数々の男たちと情を交わす。著者は、作者はそのことに良心の呵責を感じていないと指摘する。それが作者の愛欲生活の原因である:『日本語の古典』より 2024.03.17 Reading Journal 2nd