「杉本鉞子」
斎藤兆史『英語達人列伝 II』より

Reading Journal 2nd

『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第IV章 杉本鉞子

英語の達人四人目は、杉本鉞子。・・・・・っし知らない?と思ったらそれもそのはずである 。著者の斎藤も鉞子の英文著作集を読むまでは知らなかったそうだ。彼女は、英語による長編小説を書いた非常に稀な日本人だそうである。さてと読み始めよう。


斎藤は、まず有名なルース・ベネディクトの『菊と刀』(一九四六年)の話から始める。この本には多くの文献から引用があるが、引用数が最も多い本が杉本鉞子の『武士の娘』であるという。そしてその『武士の娘』(一九二五年)は、出版当時F・スコット・フィッツジェラルドの『偉大なるギャッピー』やアーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』と肩を並べるほどのベストセラーだったという。
この後、斎藤は、この『武士の娘』をもとに鉞子の生涯をその英語の能力に注目して描いている。

鉞子は、一八七二年(明治五年)に旧長岡藩筆頭家老の稲垣平助の六女として生まれた。幕末後に平助は幾つかの商売に失敗し多額の借金を背負った後に四十九歳で他界した。そして、長男の平十郎も、家出をしアメリカで一旗揚げようとしたが、的が外れて路頭に迷った末に帰国する。
しかし、その兄によって鉞子がアメリカで活躍するきっかけがもたらされた。兄は、鉞子にアメリカで自分を助けた杉本松之助との縁談を持ちかけ、鉞子もそれに同意した。鉞子十四歳の時である。
そしていずれアメリカで暮らすことになる鉞子は、十五歳から女学校などで英語を学び始めた。この頃の鉞子の英語学習法は、英文学の多読である。そして、鉞子に特徴的なのは原著の他に翻訳も読み込んでいることである。ここでさらに、斎藤は持論を展開する。

昨今のコミュニケーション重視の英語教育では、英文和訳にせよ和文英訳にせよ、翻訳という作業が過去の英語教育の悪弊であるかのように見なされることがあるが、これは甚だしい誤解と言わざるを得ない。後述する朱牟田夏雄をはじめ、すぐれた英米文学の翻訳家のなかには高度な英語運用能力を有する人が少なくないが、それは日英両言語を絶えず往来することで、実用にも資する高度な言語感覚が養われるからだと僕は考えている。(抜粋)

その後、一八九六年に鉞子はようやく渡米することになる。鉞子二十六歳の時である。この渡米の船上でのエピソードにより鉞子はすでに高いレベルの英語力があった事がわかる。

渡米後に新聞への小文の寄稿を皮切りに鉞子は、様々な作品を発表する。その執筆活動は、親友のフローレンス・ウィルソンが添削などをして、かげで支えていたという。しかし斎藤は、それに疑問を呈している。

しかしながら、フローレンス存命中に鉞子が書いた多量の英文を、いかに親友とはいえ、語彙や構文に至るまで細かく添削し得たかどうか。長年英語教育に携わってきた人間として、大いに疑問を感じる部分がある。(抜粋)

そして、フローレンスの手助けは、全体を見通して書き方や表現のアドバイスで、基本的に『著作集』の英文は鉞子が書いたと結論づけている。

ここで斎藤の添削に関する嘆きが面白い。

四〇年近く大学で英語を教えながらこんなことを言っては身も蓋もないが、適度な添削を施すことによって日本人の書いた英語が見違えるほどよくなることはほとんどない。英語のチェックを依頼されて預かった文章は、大きく二つに分かれる。一方は、直すのに必要がないくらい優れた英文。ただし、これはきわめて少ない。
他方は、そのままではどうにもならない英文。・・・・(後略)・・・・・(抜粋)

この後も延々と嘆きが続くが、ようするに鉞子の英文のような完成度の高い文章を添削レベルから直していたのでは、ほぼ全文を書き換えることになる、それは、あり得ないので、鉞子の著作の英文は、ほぼ彼女が書いたものといえるということのようである。

その後、鉞子は夫の急死などもあり、日本に帰国中に女学校で教壇に立っている。また、その後また渡米すると今度はコロンビア大学の非常勤講師を務めている。そして、再度日本に戻り、以後、一九四三年に亡くなるまで日本で暮らした。

最後に、斎藤は、このあまり日本人に知られていない英語の達人について次のように結んでいる。

彼女は自らの業績を誇ることもなく、静かにこの世を去っていった。だが、日本の英語教育に携わる人間としてひとたびこの偉業を知ってしまった以上、小器用に英語を話すことに憧れる日本の英語学習者にこれを知らしめるのが自分の責務であると僕は切に感じる。(抜粋)

関連図書:植木照代(編)『エツ・イナガキ・スギモト(杉本鉞子)英文著作集』2013年
    :ルース・ベネディクト(著)『菊と刀』講談社(講談社学術文庫)2005年
    :杉本鉞(著)『武士の娘』筑摩書房(ちくま文庫)1994年
    :内田義雄(著)『鉞子 — 世界を魅了した「武士の娘」の生涯』講談社、2013年

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