『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第III章 南方熊楠(前半)
英語の達人三人目は、南方熊楠。なるほど確かに大英博物館の図書館に陣取って勉強していたとか、粘菌の論文を『ネイチャー』に載ったとか、ボクでもしっているから英語の達人みたいね。でも、扉の略歴に、
彼は、イギリスの科学雑誌『ネイチャー』と、人文・社会科学関連の意見・情報交換のための週刊誌『ノーツ・アンド・クウィアリーズ』に生涯で三七六篇もの英文論考・随筆を発表した。(抜粋)
とある。これは、思っていたよりもさらにさらにすごい人のように思えてきた。さて、読み始めよう。
ここでも、まずは南方熊楠の生涯をその英語学習に焦点を当てながら追っている。しかし、熊楠の場合は、その奇行と蛮行のため、逸話も多くなにか超人的な能力のため業績を成し遂げたような人物像が作り上げられている。また、本人の「自己伝説化」もあるため、斎藤は、
彼の英語学習を探るにあたり、本人の証言や回想は多少疑ってかかるのがよさそうだ。(抜粋)
と言っている。しかし続けて、
ただし、熊楠が生涯で三七六篇の英語論考・随筆を残したことは、ほぼ疑いない。そこからうかがわれる英語力は、決して「天賦の才」とか「超人的な記憶力」だけでは説明がつかない。おそらく、一見無秩序に見える生活のどこかで、彼がきわめて理に適った英語学習をしていたと考えざるを得ないのだ。
としている。
まず幼少期の書写学習である。熊楠は12歳までに『和漢三才図絵』(一〇五巻)、『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本』などの書物を写し取ったとされている。(実際に、南方熊楠記念館には、写本の一部が展示されている)その写本は、方々で本を見せてもらって暗記して帰り書き写したと、熊楠が語っているそうである。これには、多少の誇張があるのであるが、斎藤は、
「書籍を・・・ことごとく記憶し帰り」という部分について多少の誇張があるにしても、・・・中略・・・もしかしたら、他人の家で読んだ本の一部を記憶によって筆写することもあったのではないか。(抜粋)
と考える。帰り道に何度も何度も復唱し、最後に筆写するような勉強は、語感を育てるために理に適っているといっている。
熊楠が、英語を習い始めた時期は当時の英語の達人たち(新渡戸稲造、岡倉天心、斎藤秀三郎など)と比べて遅く中学校に入った12歳からだという。しかし、熊楠は中学時代に、博物学、解剖学、人類学などの原書を読んでいるという。そして辞書を引きながら『金石学』という英語の本を翻訳したと言っている。斎藤は、翻訳は効果的な英語の学習法と述べたのちにこう述べている。
最近の英語教育では、昔ながらの文法・訳読中心の授業が批判の対象になる事が多い。過度の反動から、教育現場では翻訳を忌避する傾向すらある。さらには、辞書はできるだけ引かずに、知らない語句の意味を類推しつつ、大まかな文意をとることを推奨するような英文読解指導も行われている。 もちろん、熊楠の英語学習法がすべての日本人に有効だとは思わないが、彼にかぎらず日本人が翻訳によって英語力を向上させた例はいくらでもある。辞書を引きながら翻訳するという当たり前の学習法は、もう少し見直されてもいいころである。(抜粋)
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