[レビュー]『冬の日誌/内面からの報告書』
ポール・オースター 著

Reading Journal 2nd

『冬の日誌/内面からの報告書』ポール・オースター 著、新潮社(新潮文庫)、2024年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

『冬の日誌/内面からの報告書』

本屋さんで、本を見ていたらポール・オースターの『冬の日誌/内面からの報告書』という、ちょっと分厚い文庫本に目がとまる。そういえば、ポール・オースターの『トゥルー・ストーリーズ』って本を読んだけど、面白かったな。そう思って、「訳者あとがき」を見てみると、この本は『トゥルー・ストーリーズ』の中の「なぜ書くのか」以来のノンフィクションなのだそうだ。そして『冬の日誌』と『内面からの報告書』の二冊は、はっきりと対をなしていて、両方読むことにより豊かな全体が見えてくる!そこで、文庫化にあたっては、二つのノンフィクションを合本化したとのことである。そして、訳者の柴田元幸は次のように言っている。。

『冬の日誌』という一方の題からもうかが えるとおり、二〇一二年から一三年にかけて刊行されたこの二冊は、一九四七年生まれの、人生の冬が見えてきた人間が、遠い昔に自分の身体(『冬の日誌』)と精神(『内面からの報告書』)に起きていたことを再発見しようとする、過去の自分を発掘する試みである。(抜粋)

むむむ・・・・二冊で一冊、いや一冊で二冊分なのだ!・・・・・もしかして「オ  ト  ク」?と思って買ってしまった。

冬の日誌

まずは、「冬の日誌」を読み終った。「冬の日誌」は、ポール・オースターの自伝的回想である。自分の人生を時系列に追わず、人生の断片をパッチワーク、あるいはコラージュのようにありあわせ、全体像を浮かび上がらせる。

ベッドから い出て、窓まで歩いていくときの、冷たい床を踏む裸足[はだし]の足。君は六歳だ。外は雪が降っていて、裏庭の木々の枝が白くなりかけている。(抜粋)

ポール・オースターの回想は、六歳の冬の日から始まる。オースターは、過去の自分を一貫して“君”と語りかけている。そして、”君“と年老いた自分が交差しながら、時間が前後し、ひとつのキーワードに導かれ、またそれが伏線になって話が進んでいく。そのような人生の断片が折り重ね、幼少のころから現在までの人生が立体的に浮かび上がらせている。ありていに言えば輝かしい人生だろうと思う。でも、底流には一貫して年老いていくことへの不安、恐怖がある。

母の人生を追った部分がある。自分を溺愛した母、誰よりも魅力的で活動的だった母、しかし母は父親の折り合いが悪く結局は、離婚してしまった。いくつもの事業をしていた母は、最後には無一文になってしまい、こんどはオースターが援助する立場になる。そのような母の老いをとおして、オースターは自分の老いの足跡を聞いているかのようだった。

オースターの人生の回想は、人生の冬を見つめて終わっている。

ベッドから這い出て、窓から歩いていくときの、冷たい床を踏む君の裸足の足。君は六十四歳だ。外の空は灰色。ほとんど白く、太陽は見えない。君は自問する。あといくつの朝が残っているか?

ひとつのドアが閉じた。別のドアが開いた。

君の人生は冬に入ったのだ。(抜粋)

オースターの文体について記録しておこう。住んでいた家をひとつずつ列挙しながら、そこであったことを綴っているところがある。その一片を切り出してみると次のようである。

9 西一〇七丁目二六二番地 マンハッタン。これでも座って食事ができるキッチンがついていた二部屋のアパートメントだが、いままでのアパートメントほど奇妙な形ではなく、広い部屋とそれよりやや小さな部屋からなり合っていて小さい方も十分広く、前の二軒の棺桶かんおけサイズの小部屋とは大違いだった。ブロードウェイとアムステルダム・アベニューとのあいだに建った九階建てのビルの最上階なので、これまでのどちらのアパートよりも光は入るが、造りはこの前のより安っぽく、陽気でがっしりたくましい胸の管理人アーサーによるメンテナンスも雑でいい加減だった。二十二歳から二十四歳の誕生日の二、三週間後まで、全部で一年半。君はそこで恋人と二人で暮らした。君も恋人も異性と共棲きょうせいを企てたのはこれが初めてだった。(抜粋)

どこをとってもこのような、調子のよい短文と比較的長い文が並んで、詳細に要素を並べ立てるが、それでも決して読みづらくない、そんな文章である。ちょうどその頃『日本語のレトリック』を読んでいて、そのなかの「接続詞省略法」が、必ずしも接続詞を省いているわけでないのだた、ちょうどそのような文章だな、と感じた(ココ参照)。

内面からの報告書

少し時間がかかったが『内面からの報告書』を読み終った。あとがきにあるようにもともと『冬の日誌』と『内面からの報告書』は、別々な本であるので、実質的には2冊目である。

この『内面からの報告書』は、『冬の日誌』と違い「内面からの報告書」、「脳天に二発」「タイムカプセル」、そして「アルバム」からなる。

「内面からの報告書」

まずは「内面からの報告書」である。これは『冬の日誌』より1年遅れて書かれている。オースター次のように書いている。

二〇一二年一月三日、君が最新作を書きはじめた次の日からきっかり一年後。すでに書き終えた冬の日誌。自分の体について書く。自分の肉体が経験したいろんな災難や快楽を列挙する。それは、いい。だが、思い出せることを元に、子どものころからの心の中を探索するとなれば、間違いなくもっと困難な作業だろう。ひょっとしたら不可能だろうか。それでも君は、やってみたい気持ちに駆られる。自分がたぐいまれな、例外的な考察対象だと思うからではなく、まさにそうは思わないから、自分自身を単に一人の人間、誰でもありうる人間とおもうからこそ。(抜粋)

オースターは、このような思いから「内面の報告書」を書いている。そしてこの作業は、12歳を超えない範囲と決め、書き進められた。話は五・六歳という幼少期から始まり、時折時間が行き来しながら細かい事実を追って進む。

オースターは、幼少のときよりアメリカの偉大さその自由や平等の精神などが、教えられている。しかし、小学生になり、しだいに、そのアメリカにも暗い面、不平等や差別などがあることなどがわかり、そして、ユダヤ人である自分は、むしろ差別される側、アメリカでは演ずる役のない人の仲間であることに気がついていく。

「脳天に二発」

つぎに「脳天に二発」である。これは、オースターが子供時代に見た衝撃的な映画を2つ紹介している。それは『縮みゆく人間』と『仮面の米国』である。どのような衝撃を受けたか、オースターは語っている。

『縮みゆく人間』のショックは哲学的、形而上けいじじょう的ショックである。そのささやかで陰鬱いんうつな白黒映画から受けた衝撃はまさに圧倒的であり、君は一種呆然ぼうぜんたる高揚の中に取り残され、あたかも新しい脳が与えられるようなきもちとなる。(抜粋)

ここですごいのは、オースターの筆力である。2本の映画を最初から最後まで文章で追うのだが、まるでその映画を見ているような気にさせる、どのような映像が画面に映っているかがわかる、そんな表現がされている。

「タイムカプセル」

「タイムカプセル」は、オースターの最初の妻、つまり作家で翻訳者のリディア・デイヴィスからの電話から始まる。多くの文学者と同じように彼女は自分の資料を整理して研究図書館に移す準備をしていた。その資料のなかにオースターが送った手紙の全部があり、その手紙を書いたオースターに中身をチェックして公開されたくない部分などがあったら教えてほしいという。

そして送られてきた手紙のコピーは、全部で100通くらいあり500枚を超えていた。オースターはこの手紙の束という「タイムカプセル」を通して自分の若い日を振り返る。

それらを君はここで、自分の許に舞い込んできたタイムカプセルから抜き出そうとしている。それがこの内面からの報告書の次の章になってくれるだろう。

「アルバム」

最後にある「アルバム」は、文字通りに写真を集めたものである。この『内面からの報告書』に書かれていることに関する写真が集められている。


関連図書:
ポール・オースター(著)『トゥルー・ストーリーズ』、新潮社(新潮文庫)、2007年
瀨戸賢一(著)『日本語のレトリック』、岩波書店(岩波ジュニア新書)、2002年


目次 
冬の日誌
内面からの報告書
  内面からの報告書
  脳天に二発
  タイムカプセル
  アルバム
訳者あとがき

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