『「モディ化」するインド』湊 一樹 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 ワンマンショーとしてのモディ政治(その1)
ここから“第4章 ワンマンショーとしてのモディ政治”に入る。二〇一四年の選挙で圧勝し、モディはインドの首相となる。そして次の二〇一九年の選挙ではインド人民党(BJP)の勢いの衰えにもかかわらず、与党連合は圧勝した。第4章では、その圧勝をモディ首相の「ワンマンショー」というキーワードを軸に考察している。第4章は三つに分け”その1“で「ワンマンショー」としてのモディ政治を”その2“で「ワンマンショー」の舞台裏、そして”その3“でBBCドキュメンタリーの波紋をまとめる
再度の与党圧勝とモディ人気
選挙での圧勝
二〇一四年の選挙で圧勝し、モディはインドの首相になった。そして、それ以降、インド人民党(BJP)は州レベルでの勢力を拡大した。しかし二〇一九年の選挙前には、その勢いが衰えていった。そのため、二〇一九年の選挙では、モディ政権が継続できるかが一つの焦点であった。
ところが、選挙が終わってみると与党連合の圧勝という予想外の結果となる。この選挙によりBJPの一党優位体制となり、さらに宗教分断が浮き彫りとなる。この選挙でBJPはモディ首相という個人に焦点を当てる大統領選挙型の選挙キャンペーンを行った。そしてモディ首相の個人的人気が後を押しての圧勝であった。
モディ首相のワンマンショー
二〇一四年にモディ政権が発足してから、その政治スタイルを評して「ワンマンショー」という言葉が用いられた。モディ政権では、首相が絶対的な権力と圧倒的な存在感を持ち、政策の決定、人事やマスコミ対応を含めあらゆる権限を掌握した。政策の決定は首相府が担いトップダウン型で施行された。
ここで著者は、この「ワンマンショー」という表現は、「一人の政治指導者が絶対的な権力と圧倒的な存在感を持っている」という意味の他に、「傑出した指導者「モディ首相」という架空のキャラクターをモディ首相という実在の人物が演じる、文字どおりの「ワンマンショー(独り舞台)」」ともとらえられると言っている。
二つ目の「ワンマンショー」の意味はちょっと難しいけど、これが即ち著者の言いたいことなんだと思う。つまり実在の人物を越えた人物像を演じているってことですね。(つくジー)
ワンマンショーのなかの「モディ首相」
「非政治的」インタビューの政治性
モディ政権の政治的言説のコントロールの一例として、著者は、インドの通信社ANIによるインタビューをあげている。このインタビュー特徴は、「人気俳優のアクシャイ・クマールが聞き手となり、モディに語ってもらうという形式」と「「非政治的」な内容」という2点であった。しかし、このインタビューは、決して「非政治的」なものではなく、新BJPのメディアが関与した巧妙なプロパガンダで、「非政治的」なインタビューの中に色濃い政治性を読み取れる。
「モディ首相」の人物像
モディという実在の人物が演じる架空の「モディ首相」は、「恵まれない境遇を自らの力で乗り越えていった主人公が、強い指導者として人々から絶大な指示と信頼を得ながら、インドを偉大な国へ導いていく」といストーリーを持っている。そしてつねに主人公の「モディ首相」にスポットライトが当たるに権力基盤の維持・強化をはかる。
ここで、著者はこの「モディ首相」という主人公には、次の4つの特徴があるとしている。
- ワンマンショーをドラマティックな立身出世物語に仕立て上げるために、「恵まれない境遇に生まれ育ち、多くの苦労を経験してきたこと」が強く打ち出される。
- つねに「刻苦勉励」に努めながら、「清廉潔白」であることを忘れない、「聖人」のような人物として描かれる。ここで「聖人モディ」の人格形成には、ヒンドゥー至上主義の民族奉仕団(RSS)で学んだ精神修養が強調され、RSSの過激なイデオロギーに肯定的イメージを広める意図が感じられる。
- 国際社会におけるインドの存在感が飛躍的に増大し、世界から「大国」として認められるようになったのは、モディの卓越した指導力と手腕によるものであると強調される。インドがさまざまな面で台頭し、各国から重要視されるのは、モディ首相の就任以降にかぎったことではないが、その「インドの大国化」を「モディ首相の偉大さ」に巧みにすり替えようとしている。
- 国民を守るために決然として行動する意思と勇気を持った「強い指導者」というイメージを前面に出す。ここで、「強い指導者」というイメージを効果的に打ち出すために、国家を脅かす「敵」の存在について言及する。その敵のひとつは、パキスタンから越境してきたテロリスト、国内のイスラム過激派、周辺国の「外国人」など、「イスラム教徒」であり、もう一つは、一般市民を搾取し続けている「腐敗したエリート層」である。
このように、国民の安全を脅かす「敵」の存在とその脅威を繰り返し強調することで、インドを守る「強い指導者」としてのモディ首相がアピールされる。さらに、あらゆる公的議論を善悪二元論的な単純化されたストーリーに落とし込む言説は、モディ政権の政策を批判する個人や団体に対して、「敵」を擁護している、あらには、「敵」そのものであると攻撃することを可能にしている。政府・与党とその支持者らが、モディ政権に対する疑問や非難をやり玉に挙げる際に「非国民」という言葉を当たり前のように使うのは、このような背景がある。(抜粋)
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