聞くことのちから、心配のちから(その2)
東畑開人 『聞く技術 聞いてもらう技術』 より

Reading Journal 2nd

『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 聞くことのちから、心配のちから(その2)

前回・その1では、朝日新聞に連載された、社会季評「心のケア、主役は素人 ささやかな毛を生やそうの内容をまとめた。ここから、社会季評の解説になる。著者は、第3章では、「聞く」が持つ力について考えるとしている。さて読み始めよう。

普通の営みとしての「聞く」

社会季評で、取り上げられた「心のサポーター養成事業」は、示唆に富んでいる。ここでは、素人の「聞く」と専門家の「聞く」を比べることにより、「聞く」の本当の力を考える。

「心のサポーター養成事業」は、専門家である心理士をざわつかせた。専門家としては素人がカウンセリングをすることに不安もあるし、やはり専門家にしかできないこともある。しかし、

居酒屋でやっている人生相談とカウンセリングの境界線は根本的にあいまいです。結局のところ「誰かと話をすることで心が楽になる」って人類の基本的な機能ですから、それを専門家の専有物として閉じ込めることはできません。(抜粋)

「聞く」がふつうの営みであったように「聞いてもらう」も普通の営みである。普通の付き合いがあって普通に話がかわされて、お互いのことが理解されていく。カウンセリングも最終的にはそういうものである。専門家であっても、カウンセリングは聞くことが仕事である。
著者も、初めてのカウンセリングで専門知が全く役に立たず愕然とした経験がある。

2つの「わかる」

著者は「わかる」には2種類あるという。

  1. 知識に当てはめて、相手をパターンに分類していく「わかる」。これが普通の「わかる」である。
  2. 相手の内側からどのような世界を生きているのかを「わかる」こと

この2番目の「わかる」が出来るようになるには、年齢を重ねることが有利である。

だんだん年を取って、いろいろな生き方をしている人と出会い、世の中について見聞きを積み重ねる中で、自分が「普通」だと思っていたことが、案外「普通じゃない」のだと気づいてくるわけです。俺はかなり特殊な状況におかれていたんだとか、私は本当にひどい目に遭っていたんだとわかってくる。
ここに年をとることの良さがあります。(抜粋)

年を取ることにより、少しだけ他人のことを理解しやすくなる。人生経験が大事という話であるが、自分の経験が他者の経験への想像力を広げるのは事実である。

この2番目の「聞く」、つまり「それ、つらいよね」と自然にやり取りすることが無ければ、専門知識の出番もなくなってしまう
心理士などメンタルヘルスの仕事をしている人全般に言えることであるが、自分やまわりの人が苦しい思いをしたから、今は誰かの苦しい思いをケアする仕事をしているのである。実際に中井久夫は『治療文化論』の中で、自分に精神的な危機があった人や、まわりに病んだひとがいるひとが精神科医になりやすい、と言っている。

これが古代から続くケアという仕事の基本なのでしょう。(抜粋)

ただし、ちゃんとケアができるようになるには、その危機を脱していなければいけない。自身が危機にある時は、他人のことを理解できないからである。

バラバラになった「世間知」

ここで著者は、「社会季評」でも触れらている「世間知」を持ち出す。「世間知」とは、「世の中はどのような場所で、人生はいかなる酸いと甘いがあるかについての、ローカルに共有された知のこと」であるが、この「世間知」が昭和の時代と令和の時代では大きく変わってしまった。

今では世間知は複雑です。(抜粋)

そのため、同じ会社でも先輩と後輩では、全然違う世間を生きていて、その「世間知」も違ってしまっている。しかし、これは「世間知」の力が落ちているのではない。現在は社会がバラバラになってしまい、お互いのことが分からなくなっている。

そして、著者はその裂け目を埋めるのが「専門知」ではないかと言っている。

自分の世間知では理解できないものを、専門知が名前を付けて、知識を与えてくれます。(抜粋)

ここでは、「それはつらいよね」という二番目の「わかる」が、いわゆる「世間知」によって支えられているが、その「世間知」が今の時代は、バラバラになってしまって、問題だ!ということですよね、キット。(つくジー)


関連図書:中井久夫(著)『治療文化論』、岩波書店(岩波現代文庫)、2001年

コメント

タイトルとURLをコピーしました