好色一代男ーー近世的なプレーボーイ
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

IV 庶民が楽しむ言葉の世界ーーー江戸時代   23 好色一代男ーー近世的なプレーボーイ

今日のところは、はら西さいかくこうしょくいちだいおとこである。著者は、大学時代に主人公のすけは、女色男色合わせて四四六七人と関係したと耳にしたという。それはどんなプレーボーイであるか!それでは読み始めよう。

『好色一代男』の文章の秘密

著者は『好色一代男』の文章は、頭の中をつるりと通過してしまい、把握することが難しいと言っている。ところが、これを手に取ったまま寝転がって読むと、意味がわかる。この作品は、速度を付けて荒っぽく読むと頭に入ってくるような文章であった。
ここで著者は、世之介が七歳に成長するまでを書いた文章を引用してその文章の特徴を解説する。

ふたりのちょうあい、てうちてうち、かぶりのあたまも定まり、四つの年の霜月はかみおき、はかまの春も過ぎて、ほうそうの神いのれば跡なくむつの年へて、明くれば七歳の夏の夜の目覚めの枕をのけ、かけがねの響き、あくびの音のみ」。(抜粋)

この文章を見ると、一つの事を言いきらないうちに、次の事柄を重ねてのべる。しかも、主語も変わっているので文がねじれる。省略とねじれを繰り返しつつ、横滑りするような文章である。そのため、一言一句をきちんと把握しようとするとスピードが合わず読めなくなってしまう。そして、著者はこの「横滑りの文章、何を可能にしたのか」がここでのテーマとしている。

『好色一代男』の構想とその変化

『好色一代男』は『源氏物語』の五四巻を意識して、五四章からなる。七歳から六〇歳までの五四年間をそれぞれ一章ずつあてている。そして、一章つまり一年分が短くまとめられている。
書名から色欲旺盛な世之介に一代記と見えるが、必ずしもそうではない。確かに三四歳までは、世之介の半生が描かれているが、三五歳以降は、京都、大阪、江戸の名妓が主人公になり世之介は、単なる狂言回しとなっている。それは、多くの研究者が指摘しているように、途中で構想が変化しているからである。しかし、最後の五四歳になると、世之介が主人公に返り咲き、国内の女を見尽くしたとして、よしいろまるをしたてにょの島へ旅たつ。そして、

てん二年(一六八二)かみづきの末にゆきがたしれずになりにけり」。(抜粋)

で終わる。この年月は、『好色一代男』の出版年である。

世之介二七歳から二九歳の話

ここで世之介二七歳から二九歳までの話が紹介されている。『好色一代男』は、基本的に一章一年だが、ここは三章三年にわたって連続した筋を持っている。

二七歳の世之介は、塩釜明神で巫女に一目ぼれし、巫女を脅して迫ったが、亭主に見つかり罰として片方のびんだけをそり落とされて放免される。
二八歳になった世之介は、信州追分の関所で、片方の鬢だけそり落とされた姿を見咎められ怪しまれて投獄された。しばらくして隣の牢に上品な女が入っていたことに気づく。「あはれ」と聞くと、女は亭主を嫌って家出して、捕まったという。世之介は、「おもしろき事かな」と思い、天井のすすを楊枝に付けて心のたけを再三書いて口説いた。

命ながらへたらばと、互いに文取りかはして、人の目をしのび、夜更けて格子に取りつき、のみ・しらみにくはれながら、とてもならぬ事を嘆きける」。(抜粋)

ここで著者は、「蚤・しらみにくはれながら」のような俗っぽい描写は、『好色一代男』に影響を与えた『源氏物語』や『伊勢物語』のみやびとは一線を画した近世的世界であると注意している。

世之介が二九歳になると、将軍家の法事があり女と共に恩赦になって釈放される。世之介は、女を背負って千曲川をわたる。女は、ひもじいため「田舎家の軒につるしてあるのは、だま?」と世之介に聞く。世之介は女を降ろし、村里まで食べ物を求めて出かけた。そして、戻ってくると女は、女の兄弟たち数人がに殴られていた。世之介も殴られ気を失う。そして正気に戻ると女がいない。

是非今宵は枕をはじめ、天にあらばお月さま、地にあらばあらの玉のとこと定め、おれがきる物をうへにきせて、そうしてからと思ひしに、悲しや、互い心ばかり通はし、肌がよいやら悪いやら、それをも知らず惜しい事をした」。(抜粋)

ここで、「天にあらば・・・・・、地にあらば・・・・」は長恨歌のもじりである。

世之介が女をさがしていると、二人の百姓が墓泥棒をしようと美しい女の墓を掘り返していた。女の死体はあの女である。世之介が「みんなおれのせいだ」と涙にむせぶ。すると、

不思議やこの女、りょうまなこを見ひらき笑ひ顔して、もなく又もとのごとくなりぬ(=元のように死体になってしまった)」。(抜粋)

著者は、この話は『伊勢物語』(六段)の男がじょうのきさきを盗み出して背負っていく話のパロディーであると、指摘している。そして、『伊勢物語』にある、「きらきら光る露」を見て、女が男に「あれは何?」と問いかける優雅な場面を、ここでは、俗っぽい「味噌玉」に変えている。

世之介の場合には、『伊勢物語』の持っている男の思い詰めた情熱がなくなり、かわりに随所に滑稽感がにじみ出た話になっています。世之介にとって、色恋沙汰はどこまでいっても遊びの域をでないのです。(抜粋)

そして、著者は『好色一代男』について次のようにまとめている。

相手に執着しないことが「粋」だとばかりに、次から次へ愛欲の赴くままに相手を変えて行動する。刹那的に明るくおかしく女と遊ぶ。それが、近世的なプレーボーイの姿。そうした姿を書き表すのに、一箇所に滞らずに速度をつけて横滑りしていく文章は最適だったんですね。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました