「文の途中での切り方」(その3)
岩渕悦太郎『悪文 伝わる文章の作法』より

Reading Journal 2nd

『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

文の途中での切り方(その3) 
接続助詞の「が」、悪文としての中止法

接続助詞の「が」

連用形の中止法とならんで、文章が長くなる原因に、接続助詞の「が」がある。
接続助詞の「が」の用法には、

  • (1)二つの事柄を並べあげる際のつなぎの役目。共存又は時間的推移。
  • (2)題目・場面などを持ち出し、その題目についての、またその場面における事柄の叙述に接続する。そのほか、種々の前おき表現をする。
  • (3)補充的説明の添加
  • (4)内容の衝突する事柄を対比的に結び付け、前件に拘束されずに後件の存在することを表わす。(限定の逆接条件)

がある。このように「が」にはいろいろな用法があるが、前件と後件の関係をはっきりと打ち出さず、曖昧である。

こういう「が」の特徴を、清水幾太郎氏は、「『が』は、こうした無規定的直接性をその通り表現するのに役立つのである」(岩波新書『論文の書き方』五四ページ)と言っている。(抜粋)

清水は、「ので」、「それゆえ」、「のに」、「それにも拘らず」といった表現はゴツゴツしているが、後で記憶に残る。そして「が」でつないだ文章は、ツルツルと読者の心に入って、同時にツルツルと出ていってしまうと言っている。

スラスラと書かれた文章が、ゴツゴツした文章よりも記憶に残りにくく、ツルツルと出ていくものならば、スラスラと書かれた文章の方が、悪文だということになる。(抜粋)

悪文としての中止法

最後に、連用形及び接続助詞「が」でつないだ文についてまとめが書いてある。

まず、連用形や接続助詞「が」によって文を途中で止める形式は、非常に広い用法があるので、書き手には便利な反面、読み手に大きな負担をかける

もし、読み手が、そのあいまいさを、あいまいなままで受け取るならば、それは表面的に関係を追及されないだけに、非常に楽に読める文章である。そして、もし、そのように楽に読んでしまったら、そのから何も得られない文章である。
こうした文章は読みにくい文章ではない場合が多い。しかし時に読み誤りを生じ、また、頭からぬけやすい文章である。そして、つっこんで読み探ると、意味がわからなくなることがある。こういう所が、連用形や「が」による中止の、悪文としての特徴である。(抜粋)

関連図書:清水幾太郎(著)『論文の書き方』、岩波書店(岩波新書)1959年

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