『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
文の切りつなぎ
長すぎる文はくぎる、判決文のまずさ、ニュース放送のわかりやすさ、すぎたるは及ばざるがごとし、歯切れのよい文章
まず、最初にだらだらと文脈の通らない文を並べている例文を示し、それを文の切れか他、つなぎ方を意識して書き直している。そして、
訂補の主眼は、文を切ることと最小限の接続詞を使うことの二点である。(抜粋)
といっている。
ここで大切なのは、適切な文の長さが、記憶の負担を軽くするために、必要であるということで、特に論理的な文章が多い現代では、文はあまり長くないことが要求される。
そこで、文の長さはどの程度がよいかということについては、
およそのめやすでは、新聞雑誌などの論説的部分でも平均一七文節から一八文節前後であり、小説の地の文でも平均一四文節前後であると言われている。(抜粋)
といっている。
文章の長さについては、この前読んだ「文章の書き方」にも書かれている。長さは平均三十字から五十字を目安、漢字は三割が目安だってよ。ココを参照してね♬(つくジー)
文の切りつなぎの面から見れば、悪文の代表の一つは長すぎる文であり、論理的な明晰さを、読み手に感じさせない文章である。(抜粋)
次に悪文のチャンピオンとして、裁判所の判決文を例文に挙げて、文の切りつなぎの面から検討し、その読みづらさが、非常に長い文章の集まりであることとしている。
著者は、このような長文を治す方法を「長文病」と名付けた大久保忠利の述べたことに沿って、二つあるとし、
第一は、小見出しで、くくる方法、第二は結論を先に述べる方法、そのどちらの場合も、文章をなるべく短い文にくぎり、適切な接続詞を用いることは言うまでもないことだし、前にも触れた。(抜粋)
といっている。
この後、わかりやすい文章の例として「ニュース放送」の文のつなぎについて説明し、さらに、文章を短く切ろうとして文法的に間違った文章になった例を行くか示す。そして、最後に森鴎外と夏目漱石の文章を例にして、
名文の条件はいくつもある。このような文の切れあじというものは、もちろん、その一つの条件にすぎない。・・・(中略)・・・・ここでは、「文の切れつづき」の微妙な一面に、このような歯切れのよさがあり、それをささえるのは、文の内的な接続の深み、であることを言いたかったのだが、それに、もう一つの側面として、“文章の音感“といことのできるような、一種の旋律があることをつけ加えておきたい。(抜粋)
と結んでいる。
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