「悪文のいろいろ」
岩渕悦太郎『悪文 伝わる文章の作法』より

Reading Journal 2nd

『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

悪文のいろいろ
わかりにくい文章、誤解される表現、堅すぎる文章、混乱した文章

本書の最初は悪文とはどのような文かを示している。まずは「わかりにくい文章」の例として次のような例を挙げている。

エゴの位置するシチュエーションを破壊する為には、自殺まで辞さなかった潔癖さと、通俗性の中に埋没するのを辞さない時代への忠実さとが表裏をなして、それぞれの方向に解体していったところに大正の近代文学の運命があった。(抜粋)

この、一読しただけでは意味が分からない文章が、どうしてわかりにくいかについて、

①	まず、文章がたった一つのセンテンス出てきていて非常に長い
②	・・・・潔癖さと 
        ・・・・忠実さと  が表裏をなして
という構造だが・・・の部分の修飾語が長すぎる
③	「表裏をなして」が一旦切れる中止法か「解体していった」に続く副詞的用法かわからない
④	もって回った表現が多い

のように説明している。

すべて、一読してわからない文章は悪文である、ときめつけるのは軽率かもしれない。しかし、昔から「達意の文」ということが言われている。文章表現の根本は、何と言っても意味が読み手に通ずるかどうかということであろう。情緒だけ伝わればよいという場合もないではないが、普通の文章では、まず「達意」ということが基本となるといってよい。(抜粋)

その後、新聞やラジオニュースの文章などの場合などを含めどのような文が悪文であるかをいくつかの例をもって示している。

次に「誤解される表現」(いくつにも意味が取れる表現)について解説している。

NHKの番組で

私は「日露戦争でバルチック艦隊を発見し、・・・・敵艦みゆとの電報を打った信濃丸」の乗務員です。(抜粋)

という人が登場した。その時、登場した人は無線電信を打った当人ではないとの批判がNHKに浴びせられたという。

これは、字幕の「かぎ」を無視すると、「電信を打った」というのが「信濃丸」だけにかかるのか「乗組員」にもかかるのかが不明であるから起こった誤解である。

表現者の表現しようとした意図とは別の意味のものが、この文構造から受け取れるのである。言わば、日本語の一つの宿命と言ってもよい。文構造から、このような行き違い、誤解が起こっていたのであった。(抜粋)

つづいて堅すぎる文章」「混乱した文章」について例文と共に解説をしている。

「堅すぎる文章」では、薬の説明書、役所からの広報・告知の文章を取り上げている。読みづらくなる原因としては、一般の人にはなじみの少ない術後や役所用語が多くあること、そしてその表現も無用に堅いことである。

「混乱した文章」では、文章として混乱している例文をいくつも上げて説明している。その原因の一つは、

文章の構成を最初に十分に考えて書くことなしに、思い浮かぶままに片はしから書いて行ったと言っていいようなものである。(抜粋)

のようなことが挙げられる。

また、著者が「おしゃべりな文章」として、雑誌や本の広告などの例文を使い、型にはまらない崩した文章の問題を挙げている。

広告などの場合、型にはまらない、くずした文章が行われるのは自然であろうが、しかしそのくずした文章は、意識的にくずしたものでなければならないはずである。達意の文章が十分に書けるような人が、意識的にくずした文章であればいいが、文章に未熟な人がかってに書いた文章では、少なくとも新鮮さはあるかもしれないけども、ほんとうに訴える力は持ちえないと思うが、どうであろう。(抜粋)

コメント

タイトルとURLをコピーしました