「効力感の社会的条件」(その1)
波多野誼余夫 / 稲垣佳世子『無気力の心理学 改版』より

Reading Journal 2nd

『無気力の心理学 改版 : やりがいの条件』 波多野誼余夫/稲垣佳世子 著 
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第9章 効力感の社会的条件(前半)

効力感を生むための家庭教育(第7章)、そして学校教育(第8章)を受けて、第9章では効力感を生む社会について考える。この本は実験に裏打ちされた科学的な話で構成されているが、ここでは、社会改革といった話まで広がっていく。ただし当時の世情や思想の影響が見受けられるので、そのような背景を知らないと読みづらいかもしれない。


社会的機構や文化的雰囲気のほうをそのままにして人々に効力感をもたせようという試みは、決して実りの多いものではない。(抜粋)

この章では、人々が効力感を持つことを可能にする社会にするための解決方法について考えている。

まず、無力感におちいらない最低条件は、「生存をおびやかす諸要因をみずからの努力によって取り除ける」ということであるが、これは現在の先進資本主義国の場合は、この最低条件は満たしている。また、人々の「自由」に関しても、様々な枠がはめられているにしても、無気力になるほどではない。

しかし、われわれの社会はどうみても、すべての人が効力感を伸ばしうるほどによくない、と筆者たちは考える。(抜粋)

この問いに応えるために、著者は、効力感を伸ばすための社会的条件として、次の2点を挙げている。

  • 誰もが意味のある熟達の機会をもてる
  • 熟達に伴う内的な満足に重きをおき、外的な成功・失敗にこだわらなくても、それなりの生活を維持できる

(上の条件については、第6章を参照)

そして、われわれが生きている管理社会の欠陥として、まず本当の意味での熟達を歓迎しないということをあげている。管理社会が要求する熟達者は、自律的な熟達者でなく、組織の有用な歯車であるとしている。

われわれの暮らしている生産第一の管理社会では、後に述べるような例外があるとはいえ、効力感をもつことはなかなかむずかしいといわざるをえない。(抜粋)

人々が本当の熟達の機会が見つからない場合は、どうするであろうか?この時人々は、「安心感」を確保しようとする。その場合は、所有・権力の要求を満たしてくれる職業が好まれ、本来の熟達に伴う充足感、他人に貢献しうることによる満足感が薄れてしまう。
つぎに、富や地位を得た場合、効力感が高まるだろうか?それは、本人にとって意味のある熟達が、内的満足を通して安定した効力感を持つのに対して、外的成功によってのみ確認された達成は、一時的な効力感しか持ちえない。
そうすると、成功によって効力感をもちつづけるには、成功し続ける必要がある。

外的成功が人生の目標として追及される社会では、普通、ごく少数のエリートと、多数の大衆がはっきりと分離してくる。前者は、「勝者」たらんと意欲満々だが、後者は希望を失って無気力だ、という二分法的な図式が成立する。(抜粋)

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