「熟達と生きがい」(その2)
波多野誼余夫 / 稲垣佳世子『無気力の心理学 改版』より

Reading Journal 2nd

『無気力の心理学 改版 : やりがいの条件』 波多野誼余夫/稲垣佳世子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第6章 熟達と生きがい(後半)

第6章の前半では、効力感を発達させるには、「自律性」第4章)と「他者との暖かいやりとり」第5章)に加え、さらに「本人が自己向上を実感しうること」、「自己向上が本人にとって真に「好ましい」こと」の二つの条件が必要であるとしている。

後半では、二つの条件を満たす可能性があるものとして「熟達」が解説される。


まずどんな分野でも熟達者は、置かれている状況を的確に把握して判断できる。それは、熟達者がその分野に関して構造化された知識[=スキーマ]を持っているからであると心理学では考えられる。
人は、このスキーマを使って自他が行う行動が認知され、意味づけられ、記憶され、評価される。このスキーマが発達している分野では、記憶もずっと良くなり、また判断に迷うこともなくなっていく、そうなれば外的な成功・失敗という他人の評価にも一喜一憂する必要もなくなる。

熟達者のあいだでは、自分の行動やそれがもたらした所産に対する評価は、なによりもまずスキーマによって行われるのであり、その意味で、彼にとって最も意味のある評価は、スキーマによって内的に与えられるものだ、といわなければならない。こうなってくると、彼の行動には以前に見られなかったような正しさの確信と自律性がうかがえるようになってくる。(抜粋)

そして、スキーマによる自律性の感覚と共に、内的な感覚と満足が得られる。
ただし、人がもっぱら外的な判断のみを目指している場合は、自己評価と外的な成功・失敗とがくいちがうたびに、スキーマによる評価への不信が強まりスキーマは評価機能を失いゆがめられる。

ここで、では熟達者になるためにはどのくらいの時間がかかるかという話題が語られている。

心理学的な常識からすると、熟達に至るまでには五百時間、千五百時間、五千ないし一万時間といった三つの壁があるように思われる…(中略)・・・・。最初の五百時間習ったところでやっと初心者卒業ということであろうし、・・・・(中略)・・・。千五百時間やると素人ではかなりうまいほうになる。・・・・(中略)・・・・しかし、本当の意味で熟達者になる、つまり、内的な評価の枠組みができあがるためには、少なくとも五千ないし一万時間が必要だといわれている。(抜粋)

熟達者になるにはこのように長い時間がかかるため、通常、粘り強さと自発性の両方が必要である。

つぎに、ではどのような分野での熟達が、本人にとって「価値ある」「好ましい」ものであるのかについて考える。著者は、これも今の心理学では十分に答えられないとしながら、ここでは著者たちの考えが示さている。

真木悠介(まきゆうすけ)は、人々の実在的な要求の様相が創造自己統合の三つとしている。そうであれば、これらをもたらす熟達の過程こそが、その人にとって最も好ましいといえる。つまり

  • 自分の活動やその所産が自分の創造したものであるという感覚(創造)
  • 自分の熟達が他社に何らかの肯定的意味を持っているという感覚(愛)
  • 自分が自分ら市区あるという感覚(自己統合)

である。


ここで、「スキーマ」という言葉がでてくるが、前に読んだ『ネガティブ・マインド』でも「うつスキーマ」という言葉で登場していた(ココ参照)。著者は日本語では表しづらい表現としているが、・・・・確かに…ちょっとわかりづらいですよね。(つくジー)


関連図書:真木悠介(著)『人間解放の理論のために』、筑摩書房、1971年

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